日本歴史地名大系 「槙山村」の解説 槙山村まきやまむら 三重県:阿山郡阿山町槙山村[現在地名]阿山町槙山伊賀国の最北端の村。北・西は近江国(現滋賀県甲賀郡)。東大寺文書には真木山(まきやま)村とあり、真木すなわち良材を出す山の意で、全村ほとんどが山地である。近江との国境に発する槙山川が東流して河合(かわい)川になる。「続日本紀」の天平一七年(七四五)四月八日条に「伊賀国真木山火、三・四日不滅、延焼数百余町、即仰山背伊賀近江等国、撲滅之」とある。この年、聖武天皇は甲賀宮にあり、五月に恭仁(くに)京に還御しているから、真木山の数百町の山火事は大事件であったのであろう。 槙山村まきやまむら 新潟県:長岡市槙山村[現在地名]長岡市槙山町・堤(つつみ)町・渡場(わたりば)町信濃川左岸の堤内地にある。対岸の蔵王(ざおう)と渡船で結ばれ、長岡町より与板(よいた)(現三島郡与板町)へ通ずる交通の要地。東は槙下(まきした)村、西は槙山村枝郷の巻島(まきじま)村。天正村名考(温古之栞)に「まきの上七十二軒」と伝える。元和四年(一六一八)の長岡藩知行目録に村名がみえ、高五六六石五斗余のほかに八〇石の新田一ヵ所を記す。 槙山村まきやまむら 石川県:七尾市槙山村[現在地名]七尾市小栗町(おぐりまち)小栗村の北東にある。天和元年(一六八一)庵(いおり)村から分村独立。土方領で領主の変遷は外林(とばやし)村に同じ。同年の高四六石余、免五ツ一歩(「加越能御絵図覚書」加越能文庫)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by