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筒井定次 つつい さだつぐ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

筒井定次 つつい-さだつぐ

1562-1615 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
永禄(えいろく)5年生まれ。従兄筒井順慶の養子となり,天正(てんしょう)12年その遺領をつぎ大和(奈良県)郡山城主。翌年伊賀(いが)(三重県)上野にうつり20万石の領主となる。文禄(ぶんろく)元年長崎でバリニャーノから受洗。関ケ原の戦いでは徳川家康にしたがい所領を安堵(あんど)されるが,慶長13年改易(かいえき)され,さらに豊臣方に通じていた疑いで死を命じられ,慶長20年3月5日自害した。54歳。本姓は慈明寺。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の筒井定次の言及

【伊賀国】より

…【稲葉 伸道】
【近世】
 1581年に織田信長が大軍を投入して平定(伊賀の乱),〈亡所〉と記されたほどの徹底した破壊は,農村構造にも大きな影響を与えた。以後,滝川,脇坂氏を経て,85年,豊臣秀吉により筒井定次が大和から伊賀5万石に移封され上野に居城を築いた。定次は関ヶ原の戦で東軍に属したが,1608年(慶長13)改易となり,伊予から藤堂高虎が入封した。…

【上野[市]】より

…古代から盆地の中心地として伊賀国府,および国分寺(跡は史跡)がおかれ,条里が整えられた。天正年間(1573‐92)に筒井定次が築城し,1608年(慶長13)以降明治までは津藩藤堂家の支配下にあった。内陸盆地に位置したうえ,1897年開通した関西鉄道(現,JR関西本線)は市街地より3km北に敷設され戦災を免れたため,現在も城下町の面影を比較的よく残している。…

※「筒井定次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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