丹山陸郎(読み)たんざん・ろくろう

朝日日本歴史人物事典 「丹山陸郎」の解説

丹山陸郎

没年:明治30.1.17(1897)
生年嘉永5.12.11(1853.1.20)
幕末明治期の京焼陶工丹山青海次男。諱は守文,号は董谷。幼時より父に従い製陶法を学び,中村竹渓の門に入り絵を習う。慶応2(1866)年,長崎でヨンクに西洋化学を学び,東京でワグナーに化学,窯業を学ぶ。明治6(1873)年,ウィーン万博への政府参加派遣使に選ばれ,同年7月よりウィーン工芸技術学校,のちボヘミアのカールスバットの陶器専門大学に留学。この間ヨーロッパ各地の陶器製造所を歴訪し,製陶法を学び,翌年帰国。オーストリア石膏型による鋳型成形法を習得し,絵付用水金を持ち帰る。明治9年に中国,インド,ペルシャで陶磁の調査を行い,明治15~19年にはフランス陶器工業大学研修生として留学。明治期京焼の革新発展に寄与した。

(伊藤嘉章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丹山陸郎」の解説

丹山陸郎 たんざん-ろくろう

1853*-1897 幕末-明治時代の陶工。
嘉永(かえい)5年12月11日生まれ。丹山青海の次男。東京でワグネルに陶磁器製造法をまなぶ。明治6年ウィーン万国博覧会に技術伝習生として派遣される。15-19年にも渡欧。京都粟田(あわた)窯で京焼の革新につくした。明治30年1月17日死去。46歳。京都出身。名は守文。

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