日本歴史地名大系 「丹波興屋村」の解説 丹波興屋村たんばこうやむら 山形県:鶴岡市青竜寺川・内川流域地区丹波興屋村[現在地名]鶴岡市安丹(あんたん)林崎(はやしざき)村の南、大山(おおやま)川東岸にある。元和九年(一六二三)頃には林崎村の内で、藤田文右衛門分・高七三石余に相当する(愛宕神社文書)。その後分村して藤田興屋(ふじたこうや)と称し、寛永一〇年(一六三三)までに丹波興屋と改称したという。当地区所有の中央に観音、左右に阿弥陀如来・薬師如来を彫った懸仏の上部に、同年四月吉日の銘があり、「庄内櫛引郷大泉庄丹波興屋」から奉納とみえる。正保郷帳にはみえず、正保庄内絵図(本間美術館蔵)では高八九石余。慶安四年(一六五一)二二石余が、大山藩家中屋敷・足軽屋敷地として同藩領となり(大泉紀年)、寛文九年(一六六九)には幕府領、元治元年(一八六四)には庄内藩領に復した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by