久ガ原遺跡(読み)くがはらいせき

改訂新版 世界大百科事典 「久ガ原遺跡」の意味・わかりやすい解説

久ガ原遺跡 (くがはらいせき)

東京都大田区久が原4~6丁目にあって,多摩川下流左岸の標高約19mの台地上に位置した弥生時代後期の集落跡。1927年から始まった区画整理に伴う道路工事に際し,その切通し大小竪穴住居が発見され,多くの土器片も出土することから注意されるようになった。竪穴住居には火災にあって焼失したものもあるという。1947-48年には集落の一部分発掘調査している。1939年に当遺跡出土の土器を細かく分類した結果,前後2時期に分け得るという考えが出され,古い方を久ガ原式,新しい方を弥生町式と呼ぶことに統一した。土器の文様は変化に富み,沈線で区画した山形文帯をこまかい縄文で埋めて,他の部分を赤色塗彩して磨きあげた壺は実に優美である。今日でも久ガ原式は弥生時代後期初頭の南関東地方を代表する土器型式となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久ガ原遺跡」の意味・わかりやすい解説

久が原遺跡
くがはらいせき

東京都大田区久が原にある弥生時代後期の遺跡。久が原式土器の標式遺跡。湿地浸食谷を後背地とした広大な平坦台地に数十集団から成る大集落が営まれ,住居址は数百基に及んでいる。複合口縁に棒状突起と丹彩を施した壺形土器は特徴的である。

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