久保田明光(読み)クボタ アキテル

20世紀日本人名事典 「久保田明光」の解説

久保田 明光
クボタ アキテル

昭和期の経済学者 早稲田大学名誉教授。



生年
明治30(1897)年9月8日

没年
昭和46(1971)年6月11日

出生地
東京

学歴〔年〕
早稲田大学政治経済科〔大正8年〕卒

学位〔年〕
経済学博士〔昭和19年〕

経歴
古河合名会社に入り大正13年早稲田大学講師となり、昭和2年からフランス、ドイツに留学、帰国後の4年早大助教授、6年教授となった。政経学部長、理事などを歴任、43年名誉教授。ケネー経済学研究の開拓者で、33年ケネー「経済表」公刊200年式典に出席、パリ大学で講演した。理論経済学にも造詣が深かった。戦前日本経済学会幹事を務め、戦後25年には経済学史学会を創設、初代代表幹事を務めた。また日本学術会議会員、日本経済学会連合理事、日本経済政策学会常務理事、農業経済学会理事、日仏経済学会会長を歴任。著書に「近世経済学の生成過程」「農業経済学の基礎理論」「重農学派経済学」「ケネー研究」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久保田明光」の解説

久保田明光 くぼた-あきてる

1897-1971 昭和時代の経済学者。
明治30年9月8日生まれ。昭和6年早大教授。のち同大政経学部長,理事長,日本経済学会連合理事。日本におけるケネー経済学の開拓者。農業経済理論の質的転換にもつくした。昭和46年6月11日死去。73歳。東京出身。早大卒。著作に「農業経済学の基礎理論」「ケネー研究」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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