久安村(読み)ひさやすむら

日本歴史地名大系 「久安村」の解説

久安村
ひさやすむら

[現在地名]金沢市久安一―六丁目

横川よこがわ村の東に位置し、西側を満願寺まんがんじ川、東側を伏見ふしみ川が北流する。集落はかみしも田中たなか御館おたちの四つに分れ、北方を北陸街道が通る。中世には押野おしの庄のうちで、富樫氏庶流久安氏の苗字の地。文和二年(一三五三)一〇月日の妙法院知行目録案(妙法院文書)妙法みようほう(現京都市東山区)円音寺領として「押野庄付久安・嶋田」がみえ、同院門跡が管領していた。富樫系図(尊経閣文庫)では久安氏の祖は南北朝初期の加賀守護富樫高家の弟家明。「白山宮荘厳講中記録」正中三年(一三二六)条によると同年の白山本宮金剣きんけん(現鶴来町)の抗争合戦の際、「富樫孫次郎家明」が仲介、和談となっている。「加賀志徴」にひく富樫譜によれば家明は当地に住し、久安殿と称されたという。ところで「白山宮荘厳講中記録」では家明に「時守護」との注記がある。しかし当時の加賀守護は北条氏一門と考えられるので、守護の代官、あるいは奉行人であったと思われる。家明から四代目の満成は在京して将軍足利義将の近習をつとめ、応永二一年(一四一四)六月八日加賀半国(北加賀二郡か)守護に任命されている(「満済准后日記」同日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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