久屋寺
きゆうおくじ
[現在地名]久賀町大字久賀 久保河内
安寧山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。明治三年(一八七〇)久保河内にあった久福寺に、津原にあった楯鉾山神屋寺が合併して現寺号となった。
久福寺は宝永五年(一七〇八)、寛保三年(一七四三)の再度の火災により寺歴は不明。この後しばらく廃絶していたが、宮野(現山口市)の法明院の第三世宗胤を中興開山として復興された(注進案)。
神屋寺は「注進案」によれば、もと上田寺と称して真言宗であった。その後、慶法院と改称、さらに寛永二一年(一六四四)に神屋寺と改称、曹洞宗と改め、安下庄(現橘町)の普門寺第四世周法を中興開山としたという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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