20世紀日本人名事典 「久志本梅荘」の解説 久志本 梅荘クシモト バイソウ 明治・大正期の書家 学習院教授。 生年安政2年8月29日(1855年) 没年昭和2(1927)年7月22日 出身地伊勢国(三重県) 本名久志本 常幸 経歴古来神学家と称する伊勢山田の名家に生まれ、幼くして松田雪柯に書を学ぶ。鑑識に長じ、詩経をよくした。伊勢神宮外宮禰宜を務めたが、明治4年の官制改革で神職を解かれた。18年東京に出て巌谷一六・日下部鳴鶴・長三洲らと交わる。のち学習院教授となり高松宮宣仁親王に習字を教えた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久志本梅荘」の解説 久志本梅荘 くしもと-ばいそう 1855-1927 明治-大正時代の書家。安政2年8月29日生まれ。伊勢神宮の外宮(げくう)禰宜(ねぎ)。松田雪柯(せっか)に書をまなぶ。明治4年の官制改革で神職を解かれ,18年東京に出,巌谷一六(いわや-いちろく),日下部鳴鶴(くさかべ-めいかく)らとまじわる。学習院教授となり,高松宮宣仁(のぶひと)親王におしえた。昭和2年7月22日死去。73歳。名は常幸。字(あざな)は公慶。号は梅叟(窓)ともかき,別に師竹軒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by