日本歴史地名大系 「久来石村」の解説 久来石村きゆうらいしむら 福島県:岩瀬郡鏡石町久来石村[現在地名]鏡石町久来石仁井田(にいだ)村の南、釈迦堂(しやかどう)川東岸の平地と丘陵に立地。奥州道中に沿う街村で宿駅。天正一七年(一五八九)一一月二二日の伊達政宗充行状写(伊達家文書)に「きうらいし七百〆文、給分五けん、五貫文」とみえ、須賀川城攻めの忠節を賞し保土原江南斎(行藤)に安堵している。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「久来石・小栗山」とみえ、高六一七石余、北久左衛門尉の知行地。村名は古く柿(かき)ノ内(うち)村(現矢吹町)の三石(みついし)から移住したことから旧来石と称したのに由来するとの説があり、三石の地名が残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報