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久松俊勝 ひさまつ としかつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

久松俊勝 ひさまつ-としかつ

1526-1587 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)6年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)阿久比(あぐい)城主。水野忠政の娘於大(おだい)(徳川家康の生母伝通院)を2度目の妻にむかえる。永禄(えいろく)3年(1560)以後家康にしたがい,三河宝飯(ほい)郡の上之郷(かみのごう)城主となるが,子の松平康元を入城させ,自身は岡崎城の留守居をつとめた。天正(てんしょう)15年3月13日死去。62歳。名ははじめ定俊,長家。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

久松俊勝

没年:天正15.3.13(1587.4.20)
生年:大永6(1526)
戦国時代の武将。通称は弥九郎,佐渡守。はじめ定俊,長家。久松定義の子(定義の弟定益の子とする説もある)。阿久比城(愛知県阿久比町)の城主であり,はじめ織田方に属していた。天文15(1546)年ごろ水野忠政の娘於大(徳川家康生母)を2度目の妻とする。永禄3(1560)年の桶狭間の戦以後家康に従う。同年山中医王山砦(岡崎市)攻め,同5年上ノ郷城(蒲郡市)攻めに功を挙げる。上ノ郷城攻略後,その城主となる。ただし,自身は岡崎城に居り,上ノ郷城には嫡子康元を置いた。<参考文献>『蒲郡市誌』『同 資料編』

(平野明夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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