久松俊勝(読み)ひさまつ としかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「久松俊勝」の解説

久松俊勝 ひさまつ-としかつ

1526-1587 戦国-織豊時代の武将
大永(たいえい)6年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)阿久比(あぐい)城主水野忠政の娘於大(おだい)(徳川家康の生母伝通院)を2度目の妻にむかえる。永禄(えいろく)3年(1560)以後家康にしたがい,三河宝飯(ほい)郡の上之郷(かみのごう)城主となるが,子の松平康元を入城させ,自身は岡崎城留守居をつとめた。天正(てんしょう)15年3月13日死去。62歳。名ははじめ定俊,長家。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む