朝日日本歴史人物事典 「久松俊勝」の解説
久松俊勝
生年:大永6(1526)
戦国時代の武将。通称は弥九郎,佐渡守。はじめ定俊,長家。久松定義の子(定義の弟定益の子とする説もある)。阿久比城(愛知県阿久比町)の城主であり,はじめ織田方に属していた。天文15(1546)年ごろ水野忠政の娘於大(徳川家康生母)を2度目の妻とする。永禄3(1560)年の桶狭間の戦以後家康に従う。同年山中医王山砦(岡崎市)攻め,同5年上ノ郷城(蒲郡市)攻めに功を挙げる。上ノ郷城攻略後,その城主となる。ただし,自身は岡崎城に居り,上ノ郷城には嫡子康元を置いた。<参考文献>『蒲郡市誌』『同 資料編』
(平野明夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報