朝日日本歴史人物事典 「久田宗全」の解説
久田宗全
生年:正保4(1647)
江戸前期の茶人。久田家3代。父は久田宗利,母は千宗旦の娘クレ。徳誉斎,半床庵と号した。通称雛屋勘兵衛。庵号となる茶席半床庵は四畳中板の席で中柱をたてる形式で,点前座と客座の間に入れられた中板を天の川にみたてて「天の川の席」ともいわれる。宗全は茶道具にも工夫をみせ,ことに置花入として手付きの籠花入をデザインし,宗全籠の名で今日も多用されている。手造りの茶碗も「赤茶碗銘かき餅」をはじめいくつか現存するほか,好みものの道具が多い。その息子が千宗左(5代)の養子(6代,覚々斎)となった。<参考文献>久田宗也『京の茶家』
(熊倉功夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報