久米栄左衛門(読み)くめえいざえもん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久米栄左衛門」の意味・わかりやすい解説

久米栄左衛門
くめえいざえもん
(1780―1841)

幕末の技術者。讃岐国(さぬきのくに)(香川県)大内郡引田郷(ひけたごう)(東かがわ市)馬宿(うまやど)の船乗り兼農家に生まれる。大坂の間重富(はざましげとみ)に数理天文測量などを学んだ。帰郷後も天文観測を続け、また伊能忠敬(いのうただたか)の来藩の際にはその接伴案内をした。1809年(文化6)高松藩天文測量方御用となり、のち士分に取り立てられ久米姓を名のった。ぜんまいと火打(ひうち)石を組み合わせて連続して火花をおこす鋼輪(こうりん)仕掛けの輪燧佩銃(りんすいはいじゅう)、生火銃・鎗間銃(そうかんじゅう)(雷管銃)、風砲(空気銃)など銃砲の改良や発明に尽くした。また農業用揚水機をくふうして畜力利用の「養老滝」を考案。殖産興業に努力し、塩田築造鉱山の排水、港湾河川の改修などに従事した。とくに坂出(さかいで)に131町歩(約130ヘクタール)の塩田を開発した業績は大きかった。

[菊池俊彦]

『岡田唯吉編『讃岐偉人久米栄左衛門翁』(1964・鎌田共済会)』


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関連語 久米通賢

世界大百科事典(旧版)内の久米栄左衛門の言及

【久米通賢】より

…江戸時代後期の技術者で,高松藩の財政改革にも功績をのこす。通称栄左衛門。讃岐国高松藩の舵師で農業を兼ねた家に生まれる。1798年(寛政10)暦学者間重富に入門。1802年(享和2)帰国し家を継ぐ。06年(文化3)藩命で領内の海岸と街道の測量を行い,09年士分(天文測量方)に取り立てられ,久米姓を名のる。銃砲発射機構の改良に努力し,12年輪燧佩銃(りんついはいじゆう)(歯車式撃発銃)を,24年(文政7)には風砲(ふうほう)(空気銃)を,39年(天保10)には〈ドンドロ付木〉(オランダ製マッチ)の製造に成功,39年以降これを発火装置に応用した多くの雷管式銃などを製作して,近江国の鉄砲鍛冶国友藤兵衛(国友)とならび称せられた。…

※「久米栄左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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