久米路橋(読み)くめじのはし

精選版 日本国語大辞典 「久米路橋」の意味・読み・例文・類語

くめじ‐の‐はし くめぢ‥【久米路橋】

※後撰(951‐953頃)恋三・七七四「葛木やくめ地のはしにあらばこそ思ふ心を中空にせめ〈よみ人しらず〉」

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日本歴史地名大系 「久米路橋」の解説

久米路橋
くめじばし

[現在地名]信州新町水内 橋場

さい川に架かる橋。古くは水内みのち橋と称し(善光寺道名所図会)、慶長一六年(一六一一)の水内橋勧進帳(丸山史料)にこの地の土豪香坂覚法入道が鎌倉時代の末、初めて同橋を造ったが朽ち壊れて南北の交通が断絶したため、隣郡隣郷の人々を勧進して再造したことを記している。橋上が曲折して曲尺や撞木の形に似ているためまがり橋または撞木しゆもく橋ともいった。「善光寺道名所図会」に、

<資料は省略されています>

と記している。久米路橋の名は、「拾遺集」に「埋木は中むしはむといふめれは久米路の橋は心して行け」とあるのによったもので、久米路橋の初見は、天明四年(一七八四)菅江真澄の「遊覧記」の中の「来目路の橋」にある。

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