後撰和歌集(読み)ゴセンワカシュウ

デジタル大辞泉 「後撰和歌集」の意味・読み・例文・類語

ごせんわかしゅう〔ゴセンワカシフ〕【後撰和歌集】

平安中期の勅撰和歌集八代集の第二。20巻。天暦5年(951)、村上天皇の命により、大中臣能宣おおなかとみのよしのぶ清原元輔きよはらのもとすけ源順みなもとのしたごう紀時文坂上望城さかのうえのもちき梨壺なしつぼの五人が撰し、同10年前後に成立か。紀貫之伊勢らの歌1420余首を、四季・恋・雑など10部に分類して収録。歌物語的な傾向がみられる。後撰集

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精選版 日本国語大辞典 「後撰和歌集」の意味・読み・例文・類語

ごせんわかしゅうゴセンワカシフ【後撰和歌集】

  1. 平安中期の二番目の勅撰集。二〇巻。天暦五年(九五一)、村上天皇の勅命和歌所が置かれ、藤原伊尹が別当に、大中臣能宣清原元輔、源順(みなもとのしたごう)、紀時文、坂上望城(さかのうえのもちき)のいわゆる梨壺の五人が撰者となった。成立は天暦七年頃かという。紀貫之、伊勢、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)ら二二〇人余りの歌約一四二〇首を、四季、恋、雑など一〇部に分類し収録したもの。私的な贈答歌多く、歌物語的な傾向が見られる。後撰集。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後撰和歌集」の意味・わかりやすい解説

後撰和歌集
ごせんわかしゅう

古今(こきん)和歌集』に次ぐ第二の勅撰和歌集。略称「後撰集」。951年(天暦5)、村上(むらかみ)天皇の命により昭陽舎(梨壺(なしつぼ))に撰和歌所が設けられ、別当に藤原伊尹(これただ)、寄人(よりうど)に大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、源順(したごう)、紀時文(きのときぶみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)のいわゆる「梨壺の五人」が任ぜられて、『万葉集』の読解と勅撰和歌集の撰集とが行われた。後者の結果できたのが本集である。成立年代は未詳で、藤原清輔(袋草紙(ふくろぞうし))以来未定稿説も有力に行われてきている。部立(ぶだて)は、春上中下(巻1~3)、夏(巻4)、秋上中下(巻5~7)、冬(巻8)、恋1~6(巻9~14)、雑1~4(巻15~18)、離別羇旅(きりょ)(巻19)、慶賀・哀傷(巻20)で、『古今集』より簡素化されている。序文はない。歌数は流布本で1426首。詞書(ことばがき)が長く三人称表記であり、贈答歌が180組と多いので、物語的歌集ともされる。作者は220人で『古今集』より倍増し、上位入集(にっしゅう)者は紀貫之(きのつらゆき)74、伊勢(いせ)70、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・藤原兼輔(かねすけ)23、大輔(たいふ)16、藤原時平(ときひら)14、藤原師輔(もろすけ)13、在原業平(ありわらのなりひら)・藤原実頼(さねより)・敦忠(あつただ)・壬生忠岑(みぶのただみね)10首、古今歌人のほか、当代権門、女性など素人歌人の多い歌集である。撰者詠はない。この部立、詞書、作者層の特色は、貴族の恋を中心とする日常生活歌(褻(け)の歌)をおもな撰集素材とし、人間関係に興味を示した撰集態度によるものである。したがって、既成の表現に寄りかかった類型的、常套(じょうとう)的表現が目だつが、「心」中心の情趣的で滋味ある歌も多い。

[杉谷寿郎]

『窪田章一郎・杉谷寿郎・藤平春男著『鑑賞日本古典文学7 古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集』(1975・角川書店)』

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百科事典マイペディア 「後撰和歌集」の意味・わかりやすい解説

後撰和歌集【ごせんわかしゅう】

平安時代,2番目の勅撰和歌集。20巻。歌数1426首。951年村上天皇の命で,藤原伊尹を別当とし,清原元輔,紀時文,大中臣能宣(よしのぶ),源順,坂上望城(もちき)が宮中の梨壺で撰集に当たった。古今集時代の歌人が多く,撰者の歌はない。贈答歌が多く,詞書(ことばがき)の形式に物語化の傾向がうかがわれる。
→関連項目歌語三代集昭陽舎八代集和歌所

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改訂新版 世界大百科事典 「後撰和歌集」の意味・わかりやすい解説

後撰和歌集 (ごせんわかしゅう)

略称《後撰集》。《古今和歌集》をつぐ平安時代第2の勅撰和歌集。20巻。951年(天暦5)村上天皇の宣旨により,藤原伊尹(これただ)を別当(責任者)に,清原元輔,大中臣能宣(よしのぶ),源順(したごう),紀時文,坂上望城(もちき)を撰者として宮中の梨壺(昭陽舎)で撰集を開始,数年後に成立したようだが,現存本はいずれも本文が乱れ序文もないので,はっきりしない。伝本によって違うが,1425首の本が多い。《古今集》に比べて贈答歌がいちじるしく多く,しかも紀貫之・伊勢などの《古今集》時代の歌人のほかは,専門歌人の歌はとらずに,藤原実頼・同師輔などの権力者の女性とのやりとりを多く採歌するなど人事詠,日常詠が多いので,晴の歌(公的な歌)よりも褻(け)の歌(私的な歌)を重んじた歌集だといわれている。歌風はやわらかくて女性的,閨怨(けいえん)の歌にすぐれた作が多い。また,詞書が長く,歌の詠まれた状況をくわしく説明する傾向がある。このような点に宮廷女流文学勃興のきざしを見ることができる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後撰和歌集」の意味・わかりやすい解説

後撰和歌集
ごせんわかしゅう

平安時代中期の第2勅撰和歌集。 20巻。歌数 1400首余。村上天皇の宣旨により,天暦5 (951) 年和歌所が梨壺におかれ,藤原伊尹 (これただ) が長官となり,清原元輔,紀時文 (きのときぶみ) ,大中臣能宣 (おおなかとみのよしのぶ) ,源順 (したごう) ,坂上望城 (さかのうえのもちき) の5人が,『万葉集』の訓釈にあたる一方で撰集にあたった。天暦9 (955) ~天徳2 (958) 年の間に一応完成したとする説が有力。『古今和歌集』と比較すると未整備とみえる点も少くないので,未定稿説も多い。春 (上中下) ,夏,秋 (上中下) ,冬,恋 (一~六) ,雑 (一~四) ,離別羇旅,慶賀哀傷に部立。序はない。撰者の歌は1首もなく,紀貫之 (きのつらゆき) ,伊勢,凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) ら『古今集』の歌人の歌,藤原時平,師輔 (もろすけ) ,実頼ら権門の歌,伊勢大輔 (いせのたいふ) ら女流の歌が多く,全体として恋歌や私的な歌が目立つ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「後撰和歌集」の解説

後撰和歌集
ごせんわかしゅう

第2番目の勅撰集。撰者は梨壺(なしつぼ)の5人で,大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)・清原元輔(もとすけ)・源順(したごう)・紀時文(ときぶみ)・坂上望城(さかのうえのもちき)。村上天皇の下命で951年(天暦5)10月に撰集を開始,成立年は不明。春上中下・夏・秋上中下・冬・恋1~6・雑1~4・離別羈旅(きりょ)・慶賀哀傷の20巻。歌数1425首。序はない。紀貫之・伊勢・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・藤原兼輔らの作が多いが,一方で貴族たちの日常の恋の贈答歌を多数採用する。「新日本古典文学大系」所収。

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旺文社日本史事典 三訂版 「後撰和歌集」の解説

後撰和歌集
ごせんわかしゅう

平安中期,第2番目の勅撰和歌集。八代集の一つ
20巻。歌数約1400首。951年村上天皇の命で源順 (みなもとのしたごう) ら「梨壺の五人」が編集。歌の作者はほぼ『古今和歌集』と重なり,撰者の歌はいれていない。特色として贈答歌が多く,詞書が長いことがあげられるが,これは歌集の物語化を意味する。

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世界大百科事典(旧版)内の後撰和歌集の言及

【梨壺の五人】より

…《後撰和歌集》撰者5人の呼称。951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。…

【大和物】より

…大和国に在住した刀工によって作られた刀剣の総称。古代から政治・経済・文化の中心地として栄えた大和国には刀鍛冶も多く,山城,美濃,相州,備前とともに大きな生産地であり,大和伝といわれる特色ある作風を展開した。国都のおかれた奈良時代から,大和には当然刀鍛冶が存在していたと考えられるが,確実に大和物と指摘できる遺品はない。しかし,刀剣書には大宝年間(701‐704)の人として,天国(あまくに),天座,友光,藤戸らの名をあげている。…

※「後撰和歌集」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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