水内村(読み)みのちむら

日本歴史地名大系 「水内村」の解説

水内村
みのちむら

現湯来町しも麦谷むぎだに和田わだ菅沢すがざわ一帯、水内川の流域に開けた戦国末期から江戸時代初期にかけての村。弘治元年(一五五五)一〇月四日付の毛利元就書状(「閥閲録」所収波多野源兵衛家文書)に「みのち」、同四年閏六月二八日付の毛利元就判物(同書所収小倉善右衛門家文書)に「美乃地」、永禄八年(一五六五)一二月一八日付の毛利元就判物(同書所収粟屋平左衛門家文書)に「見乃地」とあり、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳に「ミの地村」、寛文三年(一六六三)の「芸備国郡志」に「佐西郡水内」などとみえる。

水内村
みのちむら

[現在地名]信州新町水内

南・東・北の三方さい川がめぐり流れ、自然に水内の形をなす。水内村の称もこれによるかという。村落犀川沿いの丘陵上に点在する。天正一〇年(一五八二)六月、北信濃四郡を領有した上杉景勝が香坂能登守に与えた知行宛行状(別本歴代古案)に、「今度就可有忠信、出置地之覚、水内郷 日名 ほかり・夏目 とへ 云々」とあるのを初見とする。慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「五百七拾八石四斗五升壱合 水内村」とある。元禄の松城領高辻帳の添目録(大日方文書)には、神出田かみでだ村・花蔵かぞう村・西窪にしくぼ村・老沢おいざわ村・風越かざこし村・葭之窪よしのくぼ村・橋場はしば村・本道ほんどう村・阿養あよう村・穴平あなたいら村・寺尾てらお村・日影ひかげ村などの枝村を記していて、いずれも江戸時代初期頃からの集落で、犀川に面した山腹に散在している。

水内村
みのちむら

[現在地名]総社市はら中尾なかお

かげ村の北、高梁たかはし川右岸に位置する。「和名抄」の下道郡水内郷の遺称地、中世には一帯に水内庄が成立する。慶長一一年(一六〇六)の十ヶ村田畑畝高改帳(橋本文書)によると高五〇八石余、田三七町六反余・畠四五町三反余、屋敷三町七反余、物成四〇六石余。寛永備中国絵図では同高で岡田藩領。以後、幕末まで同藩領。正保郷帳には枝村として滝山たきやま村・みね村・普賢寺ふげんじ村・堂法寺どうほうじ村・中尾村・才瀬さいぜ村を記す。正徳四年(一七一四)の備中一国重宝記には水内とあるが、天明年間(一七八一―八九)写の岡田藩領畝高留記(吉備郡史)には水内はみえず、中尾村・原村を別記する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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