日本歴史地名大系 「之口町」の解説 之口町ひのくちちよう 京都市:中京区銅駝学区之口町中京区二条通河原町東入二条(にじよう)通を挟む両側町。町名は、寛永以後万治以前京都全図に「樋ノ口町」とみえる。寛文五年(一六六五)刊「京雀」の「ふないり一町め」の項には「此町の北のよこ町を東へ一町あり、樋口町と名づく、其町の東は二条川原也」とあり、二条河原までが樋口町とよばれていた。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には「東組、西組二町に分る」とあり、明治二年(一八六九)一町に復した。同書には「鴨川(二条)西入樋口 此所木屋町下ル町に角倉与一殿樋口やしきとて高瀬川の水上樋口あり、故に号とす」とあり、「坊目誌」も「二条賀茂川より分流して高瀬川となる。 之口町ひのくちちよう 京都市:上京区西陣学区之口町上京区大宮通上立売下ル町のほぼ中央を南北に大宮(おおみや)通が通る。元亀二年(一五七一)の御借米之記と上下京御膳方御月賄米寄帳に南花開院町とみえ、当時は上京川西組に属した。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「下花開院丁」とみえて以後この呼称が多く、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「樋口(ひのぐち)町」と出る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報