乙巳の士禍(読み)いつしのしか(その他表記)Ǔlsa sahwa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「乙巳の士禍」の意味・わかりやすい解説

乙巳の士禍
いつしのしか
Ǔlsa sahwa

朝鮮朝鮮王朝 (李朝) の明宗1 (1545) 年,乙巳の年に王の外戚たちが争いの中心となって起った士禍。中宗 (在位 1506~44) の長子こう (のちの仁宗) と次子こう (のちの明宗) との王位継承をめぐって,尹任 (いんにん) 一派 (大尹) と尹元衡 (いんげんこう) 一派 (小尹) の対立があった。中宗が死去して仁宗が即位するや尹任一派は勢力を得たが,仁宗はわずか在位8ヵ月で死去した。明宗 (当時 12歳) が即位したのを契機に,勢力を得た明宗の外戚である尹元衡一派が仁宗の外戚である尹任一派を除去するために,誣告 (ぶこく) して尹仁一家とその一派である貴族数十名を処刑した。

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