乙訓寺瓦窯跡(読み)おとくにでらがようあと

日本歴史地名大系 「乙訓寺瓦窯跡」の解説

乙訓寺瓦窯跡
おとくにでらがようあと

[現在地名]長岡京市今里

乙訓寺旧境内にあった、奈良時代から平安時代の瓦を焼いた窯跡。旧寺域の北東部に約五〇メートル離れて東西に二基ある。

西側の窯跡は、すでに昭和初年に発見され知られていたが、昭和四一年(一九六六)発掘調査された。調査の結果、焼成室部分が方形につくられた平窯とよばれる構造であった。燃焼室はすでに削平されていた。焼成室は縦一・三メートル、横二・一メートルの方形を呈し、壁面粘土を塗り、床には粘土と平瓦片を交互に積み重ねて高さ三〇センチの七条の畝をつくり、八条の火道を形成していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 造営 民家 丸瓦

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む