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乙訓寺 おとくにでら

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世界大百科事典 第2版の解説

おとくにでら【乙訓寺】

京都府長岡京市にある真言宗豊山派の寺。山号は大慈山。法皇寺ともいう。寺伝では,推古天皇の勅願というが,最近の発掘調査では,白鳳期の瓦を伴う建物跡が発見され,創建年代を示唆する。文献では,長岡京遷都の翌785年(延暦4)藤原種継の暗殺事件に関連して皇太子早良(さわら)親王がこの寺に幽閉されたとみえるのが初見。811年(弘仁2)から翌年まで空海が別当として居住。その間,最澄が訪ねてきたこともあった。足利義満のとき,南禅寺末に属したが,1568年(永禄11)に兵火で焼失。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

乙訓寺
おとくにでら

京都府長岡京市今里にある真言宗豊山(ぶざん)派の寺。山号は大慈山(だいじさん)。推古(すいこ)天皇の勅願で、聖徳太子の開創と伝えられる。784年(延暦3)桓武(かんむ)天皇が都を山城(やましろ)(京都府)長岡の地に移し、当寺の堂宇を構営したとされるが、1966年(昭和41)の寺趾(じし)の発掘調査により、長岡京以前からかなりの規模の寺院が当地にあったことが知られている。785年藤原種継(たねつぐ)の暗殺に関して早良(さわら)親王が廃されてここに幽閉されたことが『日本紀略』にみえる。811年(弘仁2)嵯峨(さが)天皇は弘法(こうぼう)大師(空海)を当寺の別当(べっとう)に任じ、鎮護国家の道場とした。その後、寛平(かんぴょう)法皇(宇多(うだ)天皇)がこの寺に行宮(あんぐう)を置き法皇寺(ほうこうじ)とも称した。室町時代に南禅寺末の禅刹(ぜんさつ)になったが、江戸時代の元禄(げんろく)年中(1688~1704)護持院隆光(りゅうこう)の請いにより真言宗に復帰し、徳川綱吉(つなよし)の母桂昌院(けいしょういん)の外護(げご)を得、諸伽藍(がらん)、八幡神祠(はちまんしんし)、鐘楼を建て、寺田100石を寄進された。そのために隆光を当寺中興第1世と仰ぐ。寺宝には藤原時代(平安後期)の毘沙門天(びしゃもんてん)像がある。[野村全宏]

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