粘土でつくり上げた瓦を焼き締めるため地面に設けた窯。造瓦所に属する施設の一部であり,ほかに瓦製作に従事する工人の作業所である〈瓦屋〉〈造瓦屋〉〈瓦竈屋〉などと一体となって工房を形成していた。瓦窯には構造によって登窯(のぼりがま)と平窯(ひらがま)とがある。登窯の名称は,製陶用の窯に関して従来から陶芸家や研究者の間でそう呼ばれているもので,その構造は傾斜面に沿って下から上に向かって地表に数室を連続させた連房式となっている。これに対し,瓦や須恵器製作用の登窯は,傾斜地に設けている点では一致するが,多くが地下式または半地下式の不連続窯であることから,製陶用登窯と区別して窖窯(あながま),あるいは傾斜窯という名で呼ぶ研究者もある。
登窯には,斜面に沿って地下にトンネル状の斜坑を掘って窯体とした地下式,斜面に細長い溝を掘って窯体の大部分を地下に設け,天井部を地上に構築した半地下式,窯底を斜面上に設けて窯体全部が地上に出た地上式の三つがある。いずれも下方に焚口と燃焼室をもち,中央部に瓦を置き並べる焼成室があり,その上端に煙道を開き,製品は焚口から出し入れするという須恵器窯にも共通した構造をとる。ただ,焼成室の窯底に階段を有するものとそうでないものの2者があり,前者は須恵器窯には一般に見られないものである。地下式以外の場合,窯壁を築く材料に苆(すさ)入り粘土を用いることが一般で,まれには日乾煉瓦を積み上げたものがある。
平窯は一般に半地下式で,窯床平面が方形で平たんにつくられ,地上に天井を構築したものである。壁体は苆入り粘土や廃瓦を積み上げて築くことが多い。平窯には,前方の燃焼室と後方の焼成室の間に段差をつけ,そこに焼成効果を高めるため分焰柱を設けたものがある。さらに発達した構造のものでは焼成室の床に,火力を上げるために瓦や粘土を積み上げて平行する火道を数条設けており,これを特にロストル式平窯と呼ぶ。日本では平窯は7世紀末に,またロストル式は8世紀後半に採用された。平窯の場合,焼成室の広さは幅,奥行きとも3mを超すものはないほど狭く,何回も使用しないと一定量の製品を仕上げることはできないし,製品の出し入れはそのつど焼成室上部の天井を壊しておこなった。
一般に瓦の製作に必要なものは,良質の粘土と薪,それに水である。粘土は重いし,焼き上がった瓦も重いうえ運搬中に破損しやすい。したがって瓦を使用する寺院や宮殿の近くに専用の窯を築くことが多かった。平城京や平安京の造営時には,造瓦は宮内省木工(こだくみ)寮に属し,官営の窯が築かれた。しかし鎌倉時代の東大寺再建の際には,遠く渥美半島の窯や岡山県万富(まんとみ)で製作された瓦がはるばる輸送されたことが,記録のうえからも,現地での瓦窯の発掘調査によっても証明されている。
日本における屋瓦の製作は,588年,飛鳥寺の造営に際し百済から寺院建築の技術とともに〈瓦博士〉が渡来して以後のことである。この飛鳥寺使用の瓦を焼いた窯は,寺域の南東隅に接した丘陵の斜面にあり,地下式の登窯で全長10mを超え,焼成室の幅が1.5mで窯床には20段の階段があった。同様な窯は大津市榿木原(はんのきばら)瓦窯や宇治市隼上(はやあが)り瓦窯でも発掘され,前者は至近距離にある南滋賀廃寺へ供給し,後者は苆入り粘土で階段をつくったもので,約90kmも離れた大和の豊浦(とゆら)寺へ供給していたことが明らかとなった。このような登窯は百済を経て日本へ伝えられたが,源流は中国に求められるものである。7世紀末,藤原宮造営に関係した瓦窯のうち,桜井市三堂山瓦窯で発掘した6基の窯のうち5基が有段の登窯で,1基は全長4.8mの平窯であった。また宮のすぐ南側にある日高瓦窯では,日乾煉瓦を積み上げて窯壁とした平窯で,煙道は奥壁下端から煉瓦積みのトンネルで窯外へ導かれている。このような平窯も朝鮮半島の百済時代に見いだされ,日本の造瓦に直接影響を与えた。
平城宮所用瓦の瓦窯は,平城京北方に連なる奈良山丘陵中に点在している。これらには,中山,山陵(みささぎ),歌姫西,押熊,音如ヶ谷(おんじよがだに),歌姫があり,発掘による出土瓦の年代から宮の造営や改修に伴い順次操業場所を移動したことが明らかとなった。なかでも和銅年間(708-715)の造営にかかわった中山瓦窯では,相接して7ヵ所計10基の窯があり,地下式登窯6,登窯風平窯1,平窯3からなり両者が共存している。8世紀後半の瓦を出す音如ヶ谷,歌姫両瓦窯ではすべてロストル式の平窯となっており,8世紀末にはほぼ完成した姿で各地に採用された。一方,平安京造営に関係した瓦窯は,《延喜式》にみられる栗栖野(くりすの),小野の両瓦屋の名が知られている。京の北郊に点在し,前者は北区幡枝の福枝瓦窯に比定されている。最近発掘された西賀茂瓦窯群は数群からなる規模の大きいもので,京造営の重要な位置を占めていた。また吹田市にある岸部瓦窯は宮造営当初にかかわる窯の一つで,登窯とロストル式平窯があり,前者では緑釉瓦と緑釉陶器を焼成していた事実が判明した。東北地方の多賀城造営に関係した陸奥国官窯も,最近の発掘調査により明らかとなってきた。それらは,日の出山,木戸,大吉山瓦窯のほか仙台市近郊の台ノ原,小田原丘陵に集中して築かれている。古代以降の瓦窯は,室町時代に至る頃まで規模の小さいロストル式の平窯が主流を占めていたが,近世には直焰式のだるま窯が普及し,現代では計器で管理された能率的なガス窯が用いられている。著名な瓦生産地としては,愛知県高浜市(三州瓦),島根県江津市,浜田市(石州瓦)がある。
執筆者:工楽 善通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…造瓦所に属する施設の一部であり,ほかに瓦製作に従事する工人の作業所である〈瓦屋〉〈造瓦屋〉〈瓦竈屋〉などと一体となって工房を形成していた。瓦窯には構造によって登窯(のぼりがま)と平窯(ひらがま)とがある。登窯の名称は,製陶用の窯に関して従来から陶芸家や研究者の間でそう呼ばれているもので,その構造は傾斜面に沿って下から上に向かって地表に数室を連続させた連房式となっている。…
…三彩,緑釉など彩釉陶器の窯は,奈良時代の構造についてまだ知られていないが,平安時代には大阪府吹田市吉志部窯のような須恵器窯を小さくしたものと,亀岡市の篠,黒岩窯のような三角窯が知られており,緑釉陶器を焼いている。古代の瓦窯(がよう)には階段式窖窯と平窯の2形式がある。前者が古く,丘陵斜面に築かれた掘抜式のもので,焼成室床面が階段状につくられている。…
※「瓦窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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