九日市下町村(読み)ここのかいちしもんちよむら

日本歴史地名大系 「九日市下町村」の解説

九日市下町村
ここのかいちしもんちよむら

[現在地名]豊岡市九日市下町(ここのかいちしものちよう)・弥栄町(やさかちよう)・昭和町(しようわちよう)

妙楽寺(みようらくじ)村の南に接し、東を円山(まるやま)川が流れる。中世に九日市庭(ここのかいちば)(九日市・九日)とよばれた地域の北部を占める。九日下町村ともいう(天保郷帳など)。江戸時代の領主の変遷は小尾崎(こおざき)村に同じ。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に「九日下町」とみえ、高一四六石余。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙では高一八七石余。天明八年(一七八八)の城崎郡明細記(河本家文書)では高二〇一石余、小物成は米一斗・桑役銀四四一匁余、家数四七・人数二四五、鎮守は九日市上町(ここのかいちかみんちよ)村の女代(めしろ)大明神(現女代神社)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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