朝日日本歴史人物事典 「九条基家」の解説
九条基家
生年:建仁3(1203)
鎌倉中期の公卿,歌人。良経の3男。母は摂政藤原基房の娘寿子。道家の異母弟。建保5(1217)年従三位。権中納言,大納言を経て,嘉禎3(1237)年内大臣となるが翌年官を辞す。父同様詠歌を好み,歌会や歌合を主催,百首などを詠進。私選集『雲葉和歌集』を編纂,また『続古今集』の選者のひとりとして選集に携わるなど歌人としての事績は多大である。しかしその青年期においては藤原定家から評価されず,その没後は定家の子為家と対抗する反御子左派に属し,その主導者藤原光俊を庇護。また隠岐の後鳥羽上皇ともかかわった。『続後撰集』以下に79首入集。漢詩にも秀で,『和漢兼作集』にその作がみえる。その歌人活動は,権門の歌人としては異色の軌跡をたどった。自身の家集は散失。
(田渕句美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報