ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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鎌倉時代、北条(ほうじょう)氏が執権の地位によって、幕府の実権を掌握した政治体制。前期の鎌倉殿(かまくらどの)(将軍)独裁政治、後期の得宗(とくそう)専制政治の中間に位置づけられる。1203年(建仁3)北条時政(ときまさ)は源頼家(よりいえ)を廃して実朝(さねとも)を鎌倉殿にたてた際、政所別当(まんどころべっとう)(執権)に就任し、政権を握った。1205年(元久2)時政は実朝を廃して女婿の平賀朝雅(ひらがともまさ)を将軍にたてようとして失敗、義時(よしとき)が執権となってのちは、政子(まさこ)・義時が政権を握った。13年(建保1)義時は侍所(さむらいどころ)別当和田義盛(よしもり)を滅ぼし、政所・侍所別当を兼ね、その後、北条氏は両職を世襲した。19年(承久1)に実朝が殺されると、幕府は摂関家から九条頼経(くじょうよりつね)を迎えたが、政子が実質的な鎌倉殿となり、執権義時がこれを助け、21年の承久(じょうきゅう)の乱でも勝利を収めた。25年(嘉禄1)政子が没してのち、執権北条泰時(やすとき)は執権を2名に増員(うち1名が連署(れんしょ))し、評定衆(ひょうじょうしゅう)を新設して、合議政治を行い、翌26年には頼経が正式に征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された。
執権政治には二つの側面がある。第一は、北条氏が執権として行う政治という側面で、その意味では執権政治は1203年に「成立」したといえる。第二は、鎌倉殿独裁政治や得宗専制政治とは異なる合議政治という側面である。この第二の点からみると、政子の時代までの政治は独裁的であり、鎌倉殿独裁政治に含めるのが妥当で、25年の政子の没後、泰時によって合議政治としての執権政治が「確立」されたということができよう。この合議政治は、承久の乱後、安定期を迎えた幕府にふさわしい政治体制で、32年(貞永1)には「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」が制定され、裁判の基準が定まり、執権政治は円滑に運営された。
1246年(寛元4)北条時頼(ときより)が執権となったころから執権政治は変質し始める。時頼は、北条一門の不満分子である名越(なごえ)氏、有力御家人三浦(ごけにんみうら)氏、摂家将軍頼経・頼嗣(よりつぐ)ら反対勢力を次々に排除した。さらに院政を行う上皇(治天(ちてん)の君(きみ))や天皇の決定、摂関の人選をはじめ、朝廷の政治にも干渉した。時頼は執権を退いてのちも得宗として実権を握り、幕府権力の根源は執権よりも得宗に置かれるようになった。幕政の運営も評定衆の評議から、得宗が私的に主宰する「寄合(よりあい)」に移り始めた。これらの点からみて、時頼の時代は得宗専制期に含めるのが正しいが、この時期には専制の対象はとくに朝廷、貴族、寺社に向けられ、御家人に対しては、その支持を得る必要からむしろ保護政策をとった。得宗専制と御家人との対立が顕著となるのは貞時(さだとき)の時代からであり、1285年(弘安8)の霜月(しもつき)騒動はその画期である。
[上横手雅敬]
『上横手雅敬著『日本中世政治史研究』(1970・塙書房)』▽『上横手雅敬著「鎌倉幕府と公家政権」(『岩波講座 日本歴史5』所収・1975・岩波書店)』▽『三浦周行著『日本史の研究 新輯1』(1982・岩波書店)』▽『安田元久著『鎌倉執権政治』(教育社歴史新書)』
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…これらは,梶原,比企,和田,三浦などの族滅事件や承久の乱などを契機として北条氏領化したようである。 泰時の政治は,将軍の政務の御代官としての執権の地位に準拠したものであったため,これを執権政治と呼んでいる。執権政治は泰時の孫時頼が,1246年(寛元4)の宮騒動で一門の名越光時らを膺懲(ようちよう)して一門に対する惣領権を確立し,47年(宝治1)の宝治合戦で三浦泰村一族を滅ぼし,49年(建長1)に引付衆を置いたころまで続いた。…
…そのメンバーは執権・連署をはじめとする北条氏一門と,大江,二階堂,三善,清原,中原等の吏僚層が大半を占め,ときに三浦,千葉,安達等の有力御家人が選ばれたものの,それは世襲にはいたらなかった。こうして評定制は北条氏の執権政治を支える役割を果たし,49年(建長1)に御家人訴訟を扱う裁判機関として引付衆が置かれると,評定衆と引付衆は一体となって幕府の政治・裁判制度の完成をもたらした。北条氏一門の評定衆は引付衆を兼ね,中でも引付頭人は一門が独占して北条執権体制はここでも貫徹していた。…
※「執権政治」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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