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快慶 かいけい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

快慶
かいけい

鎌倉時代初期の仏師康慶の弟子。作品の多くに,初め仏師快慶,丹波講師,巧匠安阿弥陀仏,のちに法橋快慶,さらに法眼快慶などの署名がある。また東大寺重源上人に帰依して安阿弥陀仏と号し,建久年間 (1190~99) の東大寺復興造仏には運慶を助けて,正系仏師慶派一門の繁栄に大きな役割を果した。宋風様式を取入れ,その写実的作風は「安阿弥様」として後世に大きな影響を与えた。文治5 (89) 年の興福寺旧蔵『弥勒菩薩像』 (ボストン美術館) をはじめ,東大寺南大門『金剛力士像』,同寺の『僧形八幡神像』,また播磨,浄土寺『阿弥陀三尊像』,金剛峰寺孔雀明王像』など遠隔の地にも活動範囲が及び,高齢で没するまで多数の造仏に従事した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

快慶

生没年不詳。同じく鎌倉時代を代表する仏師運慶とは兄弟弟子にあたる。「安阿弥陀仏」とも称したため、理知的で端正な作風は「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれる。国宝に、兵庫県小野市・浄土寺の阿弥陀三尊像、東大寺の僧形八幡神像などがある。著名な東大寺南大門の金剛力士像は、運慶らとの共同制作。

(2013-09-02 朝日新聞 朝刊 1総合)

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デジタル大辞泉の解説

かいけい〔クワイケイ〕【快慶】

鎌倉前期の仏師。号、安阿弥(あんなみ)。運慶の父康慶の弟子といわれる。作風は運慶の剛健な表現に対して、安阿弥様とよばれる理知的で流麗な形式美を見せ、後世の仏像様式に大きな影響を与えた。作品に浄土寺阿弥陀三尊像、東大寺僧形八幡神像、同寺南大門金剛力士像などのほか、多数の阿弥陀如来立像がある。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

快慶【かいけい】

鎌倉初期の,運慶と並ぶ代表的仏師。生没年不詳。康慶の弟子。ボストン美術館蔵の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像(1189年)をはじめとして,1236年に至るまで多くの造仏の事跡が知られ,遺作も多い。
→関連項目慶派新大仏寺奈良仏師

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

快慶 かいけい

?-? 鎌倉時代の仏師。
運慶の父康慶の弟子といわれ,運慶とならんで鎌倉時代の彫刻界を代表した。30点ちかくの作品をのこし,代表作には建仁(けんにん)3年(1203)運慶らと合作の東大寺南大門仁王像のほか,阿弥陀三尊像(兵庫県浄土寺),僧形(そうぎょう)八幡神像(東大寺)などがある。優美な作風は安阿弥(あんなみ)様式とよばれ,後世の仏像彫刻におおきな影響をあたえた。法名は安阿弥陀仏。

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防府市歴史用語集の解説

快慶

 鎌倉時代前半に多くの仏像を造りました。運慶[うんけい]と同じ時期に活躍し、重源[ちょうげん]の阿弥陀[あみだ]信仰の影響を受けていたようです。阿弥陀寺[あみだじ]に納められている重源の坐像[ざぞう]は、快慶の一派が造ったのではないかと言われています。

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世界大百科事典 第2版の解説

かいけい【快慶】

平安末~鎌倉初期に活躍した慶派仏師。生没年不詳。運慶の父に当たる康慶の弟子と思われ,運慶と並んで鎌倉時代の彫刻界を代表する。1183年(寿永2)に運慶が発願した法華経の結縁者の一人として,初めてその名が見える。現在わかっている最初の作品はボストン美術館所蔵の弥勒菩薩立像で,〈文治5年(1189)仏師快慶〉の奥書のある経巻が胎内に納められている。その他,30体近くの作をのこす。運慶と合作の東大寺南大門の金剛力士像(1203),重源の建立した兵庫浄土寺の本尊阿弥陀三尊像(1194ころ),同寺のおねりの本尊である阿弥陀如来立像,同じく重源創建の伊賀(三重県)新大仏寺の盧舎那仏(頭部のみが当初のもの),建仁年間(1201‐04)につくられた奈良文殊院の文殊五尊像などの大きな像もあるが,1m前後の小さめな像が多い。

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大辞林 第三版の解説

かいけい【快慶】

鎌倉時代の仏師。康慶の弟子。丹波講師・越後法橋・安阿弥などと号す。運慶の力強い作風と比べて、流麗で親しみやすく安阿弥様ようと称される。作品は、東大寺の阿弥陀如来・地蔵菩薩像など三〇点近くが残る。1183年から1223年の記録はあるが生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

快慶
かいけい

生没年不詳。鎌倉初期の仏師。運慶の父にあたる康慶の弟子と思われ、運慶と並んで鎌倉時代の彫刻界を代表する人物。1183年(寿永2)に運慶が発願した法華経(ほけきょう)の結縁(けちえん)者の一人として初めてその名がみえる。現存する遺作は20点余りに上り、像の足(あしほぞ)などに記された銘文や文献によると、丹波講師(たんばこうじ)、越後法橋(えちごほっきょう)などと肩書し、東大寺中興の重源(ちょうげん)に帰依(きえ)して安阿弥陀仏(あんなみだぶつ)とも称している。運慶の剛健な表現に対して、快慶は、むしろ藤原彫刻の風を受けたような、穏やかで流麗な、いわゆる安阿弥様なる様式をつくりあげ、当時から「ほとんど肩を並べるなきの人」とまでたたえられている。大衆性のある、親しみやすさをもったその作風は、以後の仏像彫刻に大きな影響を与えている。代表作に、ボストン美術館の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像(1189)、兵庫浄土寺の阿弥陀(あみだ)三尊像(1192)、東大寺の僧形八幡(そうぎょうはちまん)神像(1201)、重源のためにつくった同寺俊乗堂の阿弥陀如来(にょらい)像(1202)、同寺公慶堂の地蔵菩薩像(年代不詳)などがある。[佐藤昭夫]

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世界大百科事典内の快慶の言及

【鎌倉時代美術】より

…90年(建久1)に大仏殿が上棟,96年には大仏をめぐる脇侍や四天王などの巨大な木像群と同種の石像群がつくられた。木像群は当時奈良に本拠をおく慶派の仏師,康慶やその息子運慶,弟子快慶らの手になり,石像群は陳和卿の率いる宋人石工たちの製作である。これらの諸像は再度罹災していまはないが,そこに示されたと想定される中国渡来の技術や様式の影響は,東大寺南大門にのこる石造獅子一対や97年の山口阿弥陀寺鉄宝塔をはじめとする重源ゆかりの社寺に伝存する鋳銅,鋳鉄製品によってうかがうことができるし,慶派の作家たちはこれと前後して製作した多くの遺品によって,鎌倉彫刻の本流を形成したことを証明している。…

※「快慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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