日本歴史地名大系 「亀井氏藩邸跡」の解説 亀井氏藩邸跡かめいしはんていあと 島根県:鹿足郡津和野町津和野城下原亀井氏藩邸跡[現在地名]津和野町後田津和野藩主亀井氏が、城(じよう)山東麓の中(なか)の原に、日常の藩務をとるために構えた藩邸。前面に津和野川を控え、城山への登口一帯を占める。初め殿(との)町にあったが、寛永二年(一六二五)の津和野大火で焼失、翌年中の原にあった興源(こうげん)寺を寺田(てらだ)村に移し、跡地に同五年完成(亀井家記稿本)。嘉永六年(一八五三)焼失、安政三年(一八五六)復旧され、明治四年(一八七一)まで藩邸として機能した。現在藩邸の物見櫓と馬場先櫓が移転されて残る。藩邸跡は嘉楽(からく)園と称する公園となっており、馬場先櫓とともに津和野御殿跡として県指定史跡。元禄期城下侍屋敷等絵図(津和野町郷土館蔵)では御館と記され、西は城山を背負い、津和野川に面する北から南の外周は三重の石垣で囲む。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by