(読み)はら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


はら

静岡県東部,駿河湾にのぞむ沼津市集落。旧町名。 1968年沼津市に編入。千本松原で知られる砂丘に立地し,江戸時代には東海道宿場町として繁栄。 1900年東海道本線の原駅が開設。第2次世界大戦後,工場・住宅地化が著しく,コンクリート加工,印刷の大工場の進出がみられる。北部浮島ヶ原新田開発の多い水田地帯。

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デジタル大辞泉の解説

げん【原】

(連体詞的に用いる)もとの。もともとの。「判決」「著者」

げん【原】[漢字項目]

[音]ゲン(漢) [訓]はら もと
学習漢字]2年
〈ゲン〉
はら。「原野高原湿原草原氷原平原
(「」と通用)みなもと。水源。「原泉
物事のもと。起こり。始め。「原案原因原稿原作原子原始原色原則原油原理原料起原語原根原病原
「原子」「原子力」の略。「原潜原爆原発
〈はら(ばら)〉「海原(うなばら)野原松原高天原(たかまがはら)
[名のり]おか・はじめ

はら【原】

草などが生えた、平らで広い土地。野原。原っぱ

はら【原】[地名]

静岡県沼津市の地名駿河湾に臨み、東海道五十三次宿駅として発展

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百科事典マイペディアの解説

原【はら】

駿河国駿東(すんとう)郡の地名。現在は静岡県沼津市の大字(おおあざ)。地名の由来は,かつて沼津市から富士市にかけて広がっていた浮島ヶ原にちなむという。《源平盛衰記》にみえる〈はらなかの宿〉(原中宿)が前身とみられる。戦国期には木綿産地としても知られた。1601年に原宿として東海道の宿駅に指定されたが,1611年の高潮の被害で北方300mの現在地に移転した。《東海道宿村大概帳》によれば,宿内町並みは北側17町余,南側19町余,人口は1939人,家数は398軒で,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠(はたご)屋25軒があった。宿内にあった松蔭(しょういん)寺は,臨済宗(りんざいしゅう)中興とされる白隠慧鶴(はくいんえかく)が住持した寺として知られる。1968年に沼津市に合併

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世界大百科事典 第2版の解説

はら【原】

耕作していない広く平らな原。野原といわれるように,野と特に大きな差はないが,1129年(大治4)の遠江国質侶牧(しどろのまき)の立券文(りつけんもん)に,原210町,野291町とあり,43年(康治2)尾張国安食荘(あじきのしよう)の立券文に,荒野(こうや)434町余,原山108町とあるように,一応区別されて丈量されている点からみて,地形的,視覚的に区別はあったものと思われる。【網野 善彦】 原の地名は藍原,高鷲原,坂門原(《日本書紀》)のように古代以来広く用いられ,現代でも単に原と呼ばれるものをはじめ,非常に多い。

はら【原】

駿河国(静岡県)駿東郡の東海道の宿駅。愛鷹(あしたか)山南部,沼川流域に位置し,地名は浮島ヶ原に由来する。鎌倉時代に宿駅として形成され,〈はらなかの宿〉が《源平盛衰記》に見られる。駿河湾に面し,1548年(天文17)の今川氏印判状に〈阿野庄之内原駅船壱艘之事〉と見え,今川氏がこの地の領主上松由兵衛に船役と定使を免除したこと,また53年の今川氏印判状により木綿の産地・売買地であったことが知られる。1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


はら

静岡県沼津市北西部、愛鷹山(あしたかやま)南部の一地区。旧原町。駿河(するが)湾に面して千本松原が広がる。中世以来、東海道の宿駅で、漁業も盛ん。江戸時代は箱根越しに江戸へ魚荷を送る商人仲間が活躍。現在、東海道本線原駅を中心に住宅、商店、工場が密集している。国道1号が通じる。松蔭寺(しょういんじ)に白隠慧鶴(はくいんえかく)の墓(県指定史跡)、自画像(県指定文化財)がある。

[川崎文昭]


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精選版 日本国語大辞典の解説

げん【原】

〘名〙
① はら。〔詩経‐大雅・緜〕
② もと。根源。根本。連体詞的にも用いられる。
※造化妙々奇談(1879‐80)〈宮崎柳条〉四「婦人は蕃育の原(ゲン)也と」 〔礼記‐孔子間居〕

はら【原】

[1] 〘名〙
① 平らで広いところ。特に、耕作してない平地。平原。
※十巻本和名抄(934頃)一「原 毛詩云高平曰原〈音源 和名波良〉」
② 林(はやし)
※書紀(720)天武七年一〇月(寛文版訓)「風の随(まま)にて松林(ハラ)及び葦に飄(ひひ)る」
[2] 静岡県沼津市の地名。江戸時代は東海道五十三次の沼津と吉原の間にあった宿駅。
[語誌]上代において、単独での使用例は少なく、多く「萩はら」「杉はら」「天のはら」「高天のはら」「浄見はら」「耳はら」など、複合した形で現われる。したがって、「はら」は地形・地勢をいう語ではなく、日常普通の生活からは遠い場所、即ち古代的な神と関連づけられるような地や、呪的信仰的世界を指す語であったと考えられる。この点、「の(野)」が日常生活に近い場所をいうのと対照的である。

はら【原】

姓氏の一つ。

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世界大百科事典内のの言及

【野】より

…〈野〉と〈〉とは区別されて扱われている場合もあるが,その相違は明確でない。日本の律令制においては,山川藪沢とともに野は公私共利とされたが,天皇の支配権の下におかれ,天皇は鷹狩などの狩猟のため河内国交野(かたの),山城国嵯峨野・栗栖野(くるすの)・美豆野(みずの),美濃国不破・安八両郡の野,播磨国印南野(いなみの),備前国児島郡の野などの禁野(きんや)を各地に設定し,また,河内国大庭御野(おおばのみの)のような蔣(まこも),菅,莞(い)を刈る御野を占定している。…

【宮崎[県]】より

…北は大分県,西は熊本県,南西は鹿児島県に接し,東は太平洋に臨む。
[沿革]
 県域はかつての日向国の大部分にあたり,江戸時代末期には高鍋藩,延岡藩,佐土原藩,飫肥(おび)藩のほか,薩摩藩領(諸県(もろかた)郡),人吉藩領(米良山(めらやま)),天領,預地があった。1868年(明治1)旧天領は富高県となり,次いで日田県に併合され,71年豊後の延岡藩領と換地された。…

※「原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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