(読み)ゲン

デジタル大辞泉 「原」の意味・読み・例文・類語

げん【原】[漢字項目]

[音]ゲン(漢) [訓]はら もと
学習漢字]2年
〈ゲン〉
はら。「原野高原湿原草原氷原平原
(「」と通用)みなもと。水源。「原泉
物事のもと。起こり。始め。「原案原因原稿原作原子原始原色原則原油原理原料起原語原根原病原
「原子」「原子力」の略。「原潜原爆原発
〈はら(ばら)〉「海原うなばら野原松原高天原たかまがはら
[名のり]おか・はじめ

はら【原】

草などが生えた、平らで広い土地。野原。原っぱ
[類語]野原平原広野ひろの広野こうや広原高原原っぱ松原草原そうげん草原くさはら草地野中野良野末野面田野

はら【原】[地名]

静岡県沼津市の地名。駿河湾に臨み、東海道五十三次の宿駅として発展。

げん【原】

(連体詞的に用いる)もとの。もともとの。「判決」「著者」

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精選版 日本国語大辞典 「原」の意味・読み・例文・類語

はら【原】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 平らで広いところ。特に、耕作してない平地。平原。
      1. [初出の実例]「原 毛詩云高平曰原〈音源 和名波良〉」(出典:十巻本和名抄(934頃)一)
    2. (はやし)
      1. [初出の実例]「風の随(まま)にて松林(ハラ)及び葦に飄(ひひ)る」(出典:日本書紀(720)天武七年一〇月(寛文版訓))
  2. [ 2 ] 静岡県沼津市の地名。江戸時代東海道五十三次の沼津と吉原の間にあった宿駅。

原の語誌

上代において、単独での使用例は少なく、多く「萩はら」「杉はら」「天のはら」「高天のはら」「浄見はら」「耳はら」など、複合した形で現われる。したがって、「はら」は地形・地勢をいう語ではなく、日常普通の生活からは遠い場所、即ち古代的な神と関連づけられるような地や、呪的信仰的世界を指す語であったと考えられる。この点、「の(野)」が日常生活に近い場所をいうのと対照的である。


げん【原】

  1. 〘 名詞 〙
  2. はら。〔詩経‐大雅・緜〕
  3. もと。根源。根本。連体詞的にも用いられる。
    1. [初出の実例]「婦人は蕃育の原(ゲン)也と」(出典:造化妙々奇談(1879‐80)〈宮崎柳条〉四)
    2. [その他の文献]〔礼記‐孔子間居〕

はら【原】

  1. 姓氏の一つ。

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普及版 字通 「原」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 10画

(異体字)源
13画

[字音] ゲン
[字訓] みなもと・はら

[説文解字]
[金文]

[字形] 象形
古文の字形はに作り、厂(がん)(巌)下に三泉の流れ出る形。〔説文〕十一下に「は水泉、本なり」とあり、水のわき出る水源をいう。それより原始・原委の意となる。平原の原はもとに作り、狩猟を行うときの予祝儀礼を示し、水源の原とは別の字である。原を原野の意に用いるに及んで、のち源の字を用いる。

[訓義]
1. みなもと、巌の間から水の垂れ流れるところ。
2. もと、はじめ、根本、根原。
3. もとづく、たずねる。
4. はら、原野。もとに作る。のはら、耕作地。
5. 愿と通じ、つつしむ、すなお。
6. ゆるす、のぞく、ふたたび。

[古辞書の訓]
〔和名抄〕原 波良(はら) 〔字鏡〕原 トコロ・ハカル・タヅネミレバ・ハラ・ユルス・オモムミレバ・モシ・タヅヌ・マヌカル・ムツヌ・アラハル・ハジメ・ハジマル・ユルキ

[声系]
〔説文〕に原声として願・愿など八字を収めるが、泉源の意の声義をとるものはない。

[語系]
原・元・願・愿ngiuanは同声。原・元は原始・始元の意があり、同系の語と思われる。願は〔説文〕九上に「大頭なり」とあって、元に近い意がある。また愿も同声で、原をその義に通じて用いる。

[熟語]
原案・原意・原委・原因・原価・原活・原銜・原窮・原契・原遣・原巻・原降・原稿・原告・原差・原罪・原察・原始・原赦・原隰・原書・原恕・原除・原省・原情・原上・原心・原審・原人・原籍・原雪・原泉・原洗・原則・原貸・原度・原点・原田・原頭・原・原動・原任・原配・原品・原文・原簿・原放・原夢・原謀・原本・原免・原野・原埜・原由・原宥・原来・原理・原陸・原流・原料
[下接語]
淵原・起原・丘原・郷原・権原・語原・荒原・高原・曠原・根原・始原・湿原・雪原・川原・草原・中原・氷原・復原・平原・原・野原・燎原


20画

(異体字)原
10画

[字音] ゲン
[字訓] はら

[説文解字]
[金文]

[字形] 形声
声符は(げん)。は〔説文〕にみえず、字条二下に「高の野なり。人の登るなり」とし、字形を「(ちやく)・(ろく)に從ふ。闕」として説解を加えていない。は夂(ち)と田とに分かつべく、田は畢(あみ)、は牲獣。狩猟に当たって畢に犠牲をそえて祈り、夂は上より神霊の降る意。すなわちは狩猟の成功を祈る儀礼で、それは狩場である原野で行われた。「高の野」とはその狩場をいう。〔周礼、夏官〕に「師」の職があり、その地を管理する。のち原をその字に用いるが、原はもとに作り、水源をいう字である。

[訓義]
1. 高平の地、狩場。
2. はら、のはら。

[古辞書の訓]
〔字鏡集〕 ハラ

[熟語]

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改訂新版 世界大百科事典 「原」の意味・わかりやすい解説

原 (はら)

耕作していない広く平らな草原。野原といわれるように,野と特に大きな差はないが,1129年(大治4)の遠江国質侶牧(しどろのまき)の立券文(りつけんもん)に,原210町,野291町とあり,43年(康治2)尾張国安食荘(あじきのしよう)の立券文に,荒野(こうや)434町余,原山108町とあるように,一応区別されて丈量されている点からみて,地形的,視覚的に区別はあったものと思われる。
執筆者: 原の地名は藍原,高鷲原,坂門原(《日本書紀》)のように古代以来広く用いられ,現代でも単に原と呼ばれるものをはじめ,非常に多い。普通名詞としての原は現代日常語では使うことがまれになったが,児童語には〈はらっぱ〉という表現が残っている。原と類似した意味を持つ語では,野(の,ぬ),平(たいら,ひら)があり,この二つも古くからの地名だが,それぞれの間には若干の意味の差があったと考えられ,また地方によって使い方に差異もあった。例えば,江戸時代の京都では,原のついた地名は真葛原(まくずがはら),大原(おおはら)のほかはまれで,野のついた地名(北野,平野,紫野など)が多いが,江戸では野のつく地名(上野,中野,武蔵野など)は少なく,原のつく地名が多かった。そのうち,土筆原(つくしがはら),小塚原(こづかつぱら),西原(にしがはら),信濃原(しなのはら)などは郊外にあったが,護持院ヶ原(ごじいんがはら),采女原(うねめがはら),柳原(やなぎはら)は市中にあった。護持院ヶ原と采女原はともに,享保年間(1716-36)幕府が防火のために設けた市街地のなかの空地で,とりわけ火除地(ひよけち)のなかでも特に広かったので原と呼ばれたらしい。采女原は現在の中央区銀座東5丁目にあり,《江戸名所図会》によれば幕末ころには中央に馬場があり,周囲には見世物小屋や茶店が並んでいて,市民の遊びの場所になっていた。現代の東京の郊外住宅地でも,児童たちが未建築の空地を〈はらっぱ〉と呼んだり,何々が原と名付けているのがみられるが,これは上記のような江戸の市街のなかの空地の命名とよく似ている。一方,自然のなかに存在する広い林野を原と名付けることも,古代以来現在にいたるまで広く行われており,そのなかには歴史,文学,自然美などで有名なものが多い。琵琶湖東岸にある篠原(しのはら)(滋賀県野洲市)は和歌の名所であり,関ヶ原(岐阜県不破郡関ヶ原町)や小手指ヶ原(こてさしがはら)(埼玉県所沢市)は古戦場として名高い。富士山北麓の青木ヶ原(山梨県)は樹海の景観で,奥日光の戦場ヶ原(栃木県)は湿原の景観で名高い。

執筆者:


原 (はら)

駿河国(静岡県)駿東郡の東海道の宿駅。愛鷹(あしたか)山南部,沼川流域に位置し,地名は浮島ヶ原に由来する。鎌倉時代に宿駅として形成され,〈はらなかの宿〉が《源平盛衰記》に見られる。駿河湾に面し,1548年(天文17)の今川氏印判状に〈阿野庄之内原駅船壱艘之事〉と見え,今川氏がこの地の領主上松由兵衛に船役と定使を免除したこと,また53年の今川氏印判状により木綿の産地・売買地であったことが知られる。1601年(慶長6)東海道の宿駅に指定された。以前は南方300mの地にあったが,11年高潮の被害で現在地に所替えした。原宿は大塚町高田町,東町,西町,六軒町より成り,1716年(享保1)宿人口1579,うち東町493,西町689であった。《東海道宿村大概帳》によれば戸数387,人数1777,本陣1,脇本陣1,東町と西町に旅籠屋25で,問屋場は東西両町に各1であった。また天保年間(1830-44)には箱根越しに魚や塩を送る越魚荷商人仲間がおり,漁業がさかんであった。東町の松蔭寺は臨済宗中興の祖白隠慧鶴が住持した寺として有名。1968年沼津市と合体。
執筆者:


原[村] (はら)

長野県中東部,諏訪郡の村。人口7573(2010)。茅野市の南,八ヶ岳西麓に位置する農村で,標高900~1300mの地に耕地が広がる。近世以降開墾された新田が多い。高冷地の気候を生かして,セロリレタスなどの野菜,花卉の栽培が盛ん。米作は高冷地の悪条件を克服して反収が高い。地場産業ののこぎり製造が行われてきたが,昭和30年代以降は諏訪湖周辺の精密機械工業の成長とともにカメラ組立て工場などが立地するようになった。中央自動車道諏訪南インターチェンジに近く,近年東部の八ヶ岳山麓を中心に別荘,ペンション,テニスコート,アスレチックなどの施設が増加している。八ヶ岳自然文化園,八ヶ岳美術館などが代表的な文化施設。西端部に阿久遺跡(史)がある。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「原」の解説


はら

[現在地名]小野田町 原

小野田本郷のうちで、東流する鳴瀬なるせ川左岸にあり、南は長清水ちようしみず、西は門沢かどさわ、北は宮崎みやざき(現宮崎町)、東は長清水と小泉こいずみ(現宮崎町)に接する。かつては当地に田地はなかったが、寛文一〇年(一六七〇)新田が開発され原と名付けられたという。この時承応元年(一六五二)当地に移住した上原屋敷の高橋長右衛門が肝入に任ぜられ、以後世襲した(安永風土記)。「安永風土記」によれば、田二二二貫七四四文・畑一一貫一〇二文で、蔵入は一二〇貫六一五文、給所は一一三貫一三一文、人頭九二人(うち沽却禿一五)、家数七八(うち借屋一)、男二三八・女一九四、馬一一五で、用水として当村一円の渡ノ沢堤(溜高一三貫九八九文)、門沢との入会の沼頭堤・内子沢堤・歩坂堤・梨沢堤があり、合計当村分溜高一三貫九八九文、上野目かみのめとの入会堰である大堰(溜高一八二貫七五六文)の当村分溜高は一七七貫六四七文であった。



はら

[現在地名]津和野町後田うしろだ

亀井氏藩邸から御菜園所にかけて重臣屋敷が配された地。東は津和野川に沿いかみの原・中の原からなる。元禄期城下侍屋敷等絵図(津和野町郷土館蔵)では藩邸東門から菜園に至る幅三間の南北道の西側に三千三一八坪の亀井宮内(高崎亀井家)邸、竹蔵と重臣屋敷三軒が並び、東側に慈雲じうん院屋敷跡・藩上屋敷および重臣屋敷五軒が並ぶ。



はら

[現在地名]丸子町大字御岳堂・大字生田

御嶽堂みたけどう村より塩田に通ずる二ッ木・久保両峠の東にある集落、南原(現大字御岳堂)と北原(現大字生田)に分れる。南原は単に原組ともいい御嶽堂村の枝郷。

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百科事典マイペディア 「原」の意味・わかりやすい解説

原【はら】

駿河国駿東(すんとう)郡の地名。現在は静岡県沼津市の大字(おおあざ)。地名の由来は,かつて沼津市から富士市にかけて広がっていた浮島ヶ原にちなむという。《源平盛衰記》にみえる〈はらなかの宿〉(原中宿)が前身とみられる。戦国期には木綿の産地としても知られた。1601年に原宿として東海道の宿駅に指定されたが,1611年の高潮の被害で北方300mの現在地に移転した。《東海道宿村大概帳》によれば,宿内町並みは北側17町余,南側19町余,人口は1939人,家数は398軒で,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠(はたご)屋25軒があった。宿内にあった松蔭(しょういん)寺は,臨済宗(りんざいしゅう)中興の祖とされる白隠慧鶴(はくいんえかく)が住持した寺として知られる。1968年に沼津市に合併。

原[村]【はら】

長野県中東部,諏訪郡の村。八ヶ岳の西麓に広がる俎原(まないたはら)とよばれる高原地帯を占め,東端の茅野市境には八ヶ岳の一角をなす阿弥陀岳(2805m)があり,一帯は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。ペンションや別荘地が集中することで知られ,特に夏場は避暑地としてにぎわう。高原野菜や花卉栽培なども行われる。中央自動車道の諏訪南ICに近い南西部は交通が至便で,工業団地が立地。西部には縄文時代の集落遺跡である阿久遺跡がある。43.26km2。7573人(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「原」の意味・わかりやすい解説

原(村)
はら

長野県中東部、諏訪郡(すわぐん)の村。八ヶ岳(やつがたけ)西麓(せいろく)、標高約1100メートルの広大な裾野(すその)にある高冷地山村。中央本線茅野(ちの)駅からのバスの便がある。近世初期に開拓された新田村で現在は米、高原野菜、花卉(かき)などの栽培が盛ん。約70戸のペンションがあり、県下屈指のペンション村を形成。近くには村営の美術館、保養所がある。阿久遺跡(あきゅういせき)(国の史跡)は、祭祀場とされる環状集石群で著名な縄文前期の集落跡。面積43.26平方キロメートル(一部境界未定)、人口7680(2020)。

[小林寛義]




はら

静岡県沼津市北西部、愛鷹山(あしたかやま)南部の一地区。旧原町。駿河(するが)湾に面して千本松原が広がる。中世以来、東海道の宿駅で、漁業も盛ん。江戸時代は箱根越しに江戸へ魚荷を送る商人仲間が活躍。現在、東海道本線原駅を中心に住宅、商店、工場が密集している。国道1号が通じる。松蔭寺(しょういんじ)に白隠慧鶴(はくいんえかく)の墓(県指定史跡)、自画像(県指定文化財)がある。

[川崎文昭]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「原」の意味・わかりやすい解説


はら

静岡県東部,駿河湾にのぞむ沼津市の集落。旧町名。 1968年沼津市に編入。千本松原で知られる砂丘に立地し,江戸時代には東海道の宿場町として繁栄。 1900年東海道本線の原駅が開設。第2次世界大戦後,工場・住宅地化が著しく,コンクリート加工,印刷の大工場の進出がみられる。北部の浮島ヶ原は新田開発の多い水田地帯。

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事典・日本の観光資源 「原」の解説

(静岡県沼津市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【宮崎[県]】より

…北は大分県,西は熊本県,南西は鹿児島県に接し,東は太平洋に臨む。
[沿革]
 県域はかつての日向国の大部分にあたり,江戸時代末期には高鍋藩,延岡藩,佐土原藩,飫肥(おび)藩のほか,薩摩藩領(諸県(もろかた)郡),人吉藩領(米良山(めらやま)),天領,預地があった。1868年(明治1)旧天領は富高県となり,次いで日田県に併合され,71年豊後の延岡藩領と換地された。…

【甕原】より

…京都府相楽郡加茂町の北部の地名。〈原〉〈三日原〉〈三香原〉とも記す。古代において,奈良から伊賀,近江信楽(しがらき)へ向かう要路であった。…

【江西[省]】より


[自然]
 省の地勢は北に低く南に高く,また東西にも障壁があって,北に注口をもつ長円形の盆器のようである。省域は北部中央に位置する鄱陽湖(はようこ)の集水域とほぼ一致し,東は武夷山脈によって福建と,西は羅霄(らしよう)山地によって湖南と接し,南は低平な丘陵がいりくんで広東との境界をなす。北も中央に鄱陽湖と長江をつなぐ低隘地をはさんで,西半は幕阜山によって湖北と,東半も懐玉山をはじめとする丘陵で安徽・浙江と画される。…

【南昌】より

…市域には新建,南昌など4県を含む。省の北部,贛江(かんこう)が鄱陽湖(はようこ)に注ぎこんでつくる湖盆の三角州の中心にあり,全流域を扼する位置にある。付近では新石器時代末期には稲作をおこなう集落が広がり,中原の殷文化の影響も受けていた。…

【湖】より

…【村下 重夫】
[中国]
 中国で〈湖は都なり〉と説明されることがあるのは,都に人と物資が集まるように,四方の水流が集まり注ぎこむためである。現在の洞庭湖,鄱陽(はよう)湖,太湖などの江南の湖は,古代においても有名であった。雲夢沢(うんぼうたく)とよばれたのは,現在の洞庭湖を含んでより大きく湖南・湖北両省にひろがっていた大湖沼であろうと考えられる(雲夢)。…

※「原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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