亀山天皇卒塔婆建立地跡(読み)かめやまてんのうそとうばこんりゆうちあと

日本歴史地名大系 「亀山天皇卒塔婆建立地跡」の解説

亀山天皇卒塔婆建立地跡
かめやまてんのうそとうばこんりゆうちあと

那智大滝拝所の前、石階の左側にある。弘安四年(一二八一)二月晦日、亀山上皇が那智山に参詣した(一代要記)。これが天皇・上皇の最後の熊野参詣といわれ、この時に卒塔婆が造立されたという(続風土記)。当初の卒塔婆造立の位置は不詳。近世には亀山天皇宸筆の卒塔婆(木碑)滝本観音堂にあり、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「熊野巡覧記」に「滝本の観音堂の庭に至る。左の方に木碑有、書曰太上天皇恒仁弘安四年二月晦日初度と有。恒仁は亀山帝の御諱なり」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む