日本大百科全書(ニッポニカ) 「予譲」の意味・わかりやすい解説
予譲
よじょう
生没年不詳。中国の春秋時代の晋(しん)の刺客。晋では頃公(けいこう)(在位前525~前512)のころから、六卿(りっけい)とよばれた韓(かん)、趙(ちょう)、魏(ぎ)、范(はん)、中行(ちゅうこう)、智(ち)氏の大臣たちが王族を抑えるほどの勢力をもってきた。予譲はまず范氏、中行氏に仕えて、相応に待遇されなかったが、智伯からは国士としてたいそう尊重された。しかし智伯は、韓、魏と共謀した趙襄子(ちょうじょうし)に敗れ、頭蓋(ずがい)に漆を塗って酒杯にされるという辱(はず)かしめを受けた(前453)。予譲は逃亡し、主君の仇(あだ)を討つ機会を待った。最初は受刑者に姿を変え趙襄子の宮殿に入り込み発覚してしまうが、義士として許された。二度目も身体に漆を塗り病人を装い、炭を飲んで声を変え、橋の下で待ち構えるが見破られてしまう。予譲はもはや許されないことを知り、もらい受けた趙襄子の上着を剣で斬(き)りつけて仇討を全うし、自殺した。『戦国策』『史記』刺客列伝にみえる。
[鶴間和幸]