日本歴史地名大系 「二塚保」の解説
二塚保
ふたづかほ
現在は庄川の西岸に位置するが、元来は庄川(千保川)の東に位置した国衙領。「大覚寺門跡次第」によれば、元弘元年(一三三一)八月後醍醐天皇の討幕計画が漏れた元弘の乱に際し、天皇に味方した恒性皇子(越中宮)が越中に配されたとする。二塚がその配流・幽閉地であったといわれ、二塚地内の字
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現在は庄川の西岸に位置するが、元来は庄川(千保川)の東に位置した国衙領。「大覚寺門跡次第」によれば、元弘元年(一三三一)八月後醍醐天皇の討幕計画が漏れた元弘の乱に際し、天皇に味方した恒性皇子(越中宮)が越中に配されたとする。二塚がその配流・幽閉地であったといわれ、二塚地内の字
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