二条師嗣(読み)にじょう・もろつぐ

朝日日本歴史人物事典 「二条師嗣」の解説

二条師嗣

没年:応永7.11.22(1400.12.8)
生年:延文1/正平11(1356)
南北朝末・室町時代初期の公家。二条良基の次男。母は土岐春日入道の娘。応安1/正平23(1368)年従三位,永和1/天授1(1375)年右大臣,永和4/天授4年左大臣,翌年関白となり,永徳2/弘和2(1382)年これを辞す。父良基以来,足利義満とのつながりが深く,応永5(1398)年3度目の関白就任は,義満に執奏を請い還補されたものであった。ところが翌年,興福寺金堂供養で義満に従った際,馬副を召し連れなかったことから,義満の機嫌を損ない出家。師嗣が出家理由の返書を,上皇に準ずる様式で義満に送ったことは,義満を上皇に相当する地位として認めるきっかけとなった。<参考文献>今谷明『室町王権

(湯川敏治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二条師嗣」の解説

二条師嗣 にじょう-もろつぐ

1356-1400 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう),歌人
延文元=正平(しょうへい)11年生まれ。二条良基(よしもと)の次男。右大臣,左大臣をへて,康暦(こうりゃく)元=天授5年,嘉慶(かきょう)2=元中5年,応永5年と3度にわたり関白をつとめた。従一位。応永6年出家,法名は円誉。「永和百首」の作者で,「関白師嗣百首和歌」がのこる。「新後拾遺和歌集」などにもおさめられている。応永7年11月22日死去。45歳。号は後香園院。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android