朝日日本歴史人物事典 「二条晴良」の解説
二条晴良
生年:大永6(1526)
戦国時代の公家。父は二条尹房。母は九条尚経の娘。天文7(1538)年従三位。以後左右大臣を経て,天文17年関白。永禄9(1566)年准三后となり,同11年関白還任。号は浄明珠院。元亀1(1570)年足利義昭の命により,織田信長と浅井長政・朝倉義景連合軍との調停に携わり,近江,美濃,越前間に和睦を成立させた。これにより信長は,浅井・朝倉・三好・本願寺連合軍による挟撃の危機を脱し,岐阜への一時撤退が可能となった。なお天正4(1576)年,信長は二条邸を報恩寺に移し,跡を自らの屋敷とした。泉水,大庭眺望面白きためという。<参考文献>今谷明『信長と天皇』
(湯川敏治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報