二条晴良(読み)にじょう・はれよし

朝日日本歴史人物事典 「二条晴良」の解説

二条晴良

没年天正7.4.29(1579.5.24)
生年大永6(1526)
戦国時代の公家。父は二条尹房。母は九条尚経の娘。天文7(1538)年従三位。以後左右大臣を経て,天文17年関白永禄9(1566)年准三后となり,同11年関白還任。号は浄明珠院。元亀1(1570)年足利義昭の命により,織田信長浅井長政朝倉義景連合軍との調停に携わり,近江,美濃,越前間に和睦を成立させた。これにより信長は,浅井・朝倉・三好・本願寺連合軍による挟撃の危機を脱し,岐阜への一時撤退が可能となった。なお天正4(1576)年,信長は二条邸を報恩寺に移し,跡を自らの屋敷とした。泉水,大庭眺望面白きためという。<参考文献>今谷明『信長と天皇

(湯川敏治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二条晴良」の解説

二条晴良 にじょう-はるよし

1526-1579 戦国-織豊時代公卿(くぎょう)。
大永(たいえい)6年4月16日生まれ。二条尹房(ただふさ)の子。天文(てんぶん)7年従三位。内大臣,右大臣,左大臣をへて17年関白。22年関白を辞し,永禄(えいろく)9年准三宮(じゅさんぐう)。11年織田信長が京都にはいると,ふたたび関白となった。従一位。天正(てんしょう)7年4月29日死去。54歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「二条晴良」の解説

二条晴良 (にじょうはれよし)

生年月日:1526年4月16日
戦国時代;安土桃山時代の公卿
1579年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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