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二条晴良 にじょう はるよし

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美術人名辞典の解説

二条晴良

戦国・安土桃山時代の公卿。尹房の子。左大臣関白。天正7年(1579)歿、54才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

二条晴良 にじょう-はるよし

1526-1579 戦国-織豊時代の公卿(くぎょう)。
大永(たいえい)6年4月16日生まれ。二条尹房(ただふさ)の子。天文(てんぶん)7年従三位。内大臣,右大臣,左大臣をへて17年関白。22年関白を辞し,永禄(えいろく)9年准三宮(じゅさんぐう)。11年織田信長が京都にはいると,ふたたび関白となった。従一位。天正(てんしょう)7年4月29日死去。54歳。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

二条晴良

没年:天正7.4.29(1579.5.24)
生年:大永6(1526)
戦国時代の公家。父は二条尹房。母は九条尚経の娘。天文7(1538)年従三位。以後左右大臣を経て,天文17年関白。永禄9(1566)年准三后となり,同11年関白還任。号は浄明珠院。元亀1(1570)年足利義昭の命により,織田信長と浅井長政朝倉義景連合軍との調停に携わり,近江,美濃,越前間に和睦を成立させた。これにより信長は,浅井・朝倉・三好・本願寺連合軍による挟撃の危機を脱し,岐阜への一時撤退が可能となった。なお天正4(1576)年,信長は二条邸を報恩寺に移し,跡を自らの屋敷とした。泉水,大庭眺望面白きためという。<参考文献>今谷明『信長と天皇』

(湯川敏治)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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