にじょう‐どおりニデウどほり【二条通】
- 京都市の東西に通じる通りの一つ。現在の白川通から堀川通までで、平安京二条大路の一部。
- [初出の実例]「二条どをりより、御霊の宮の氏神の祭見に行きけり」(出典:仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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二条通
にじようどおり
平安京の二条大路にほぼ該当し、冷泉小路(現夷川通)と押小路(現押小路通)の間を東西に通る。道幅一七丈。朱雀大路に次ぐ広い通りで(延喜式)、大内裏の南辺りを通過。穀倉院・大学寮・木工町などの官衙町、冷泉院・二条院・堀河院・閑院・東三条殿など上層貴族の邸宅が軒を連ねた。
「坊目誌」は「東は南禅寺町字下河原に起り西は千本東入俗に城西通と云ふに至り、葛野郡朱雀野村に接す。(中略)賀茂川以東は元愛宕郡に属す。宝永五年に開く。東寺町東山通以東は明治二十六年に広道以東は同二十九年に開く」と記す。
二条通
にじようどおり
[現在地名]旭川市二条通
明治三二年(一八九九)に新設された町。明治二五年一月旭川村市街予定地の区域設定では「へ通」とされた。同二八年二月の字名変更により忠別町となる。同三二年八月の字名変更で二条通が設定され、昭和四年(一九二九)四月の町名変更で一―二四丁目が置かれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の二条通の言及
【平安京】より
…このころになると,東河といわれた鴨川の東,白河の地に市街地が形成され,〈京・白河〉の称が生まれる一方,鴨川(原)を朱雀川(原),東京極路(とくに二条以北)を東朱雀路と呼ぶこともあった。他方,市街地の北と南の区別が二条通(大内裏南辺の東西路)を境にしてなされ,上辺(かみわたり),下辺(しもわたり)の称も生まれた。のちの上京,下京である。…
※「二条通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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