日本歴史地名大系 「二渡村」の解説 二渡村ふたわたりむら 鹿児島県:薩摩郡宮之城町二渡村[現在地名]宮之城町二渡山崎(やまさき)村の西、南西流する川内(せんだい)川北東岸にある。川内地方と宮之城を結ぶ道が南西須杭(すくい)から北東二渡口へと通り、村名はこの道が当村東側の川内川と西側の同川支流大山口(おおやまくち)川の二ヵ所で川を渡ったことに由来するという説もある。戦国期のものと思われる年欠一一月一〇日の出水公方向用途支配注文(清色亀鑑)に「二渡六町 一貫文」とみえる。当地は泊野(とまりの)・白男川(しらおがわ)とともに東郷氏の勢力圏にあったと推定され、北西の高(たか)城には東郷重清(氏重)の七男六郎がおり、二渡氏を称したという(三国名勝図会)。 二渡村ふたわたりむら 群馬県:桐生市二渡村[現在地名]桐生市梅田町(うめだちよう)四丁目桐生川沿いの谷間に位置。西は高沢(こうざわ)村、南は浅部(あさべ)村、北は勢多(せた)郡座間(ざま)村(現東村)に接し、東は桐生川を隔てて下野国安蘇(あそ)郡上彦間(かみひこま)村(現栃木県安蘇郡田沼町)。南辺を忍山(おしやま)川が流れる。湯本(ゆもと)・大茂(だいも)・荷場(にんば)・碁場小路(ごばこうじ)・猿石(せりいし)・大州(おおしゆう)などの集落がある。天正元年(一五七三)の藤生紀伊守宛由良成繁書状(由良文書)に「二渡」とみえ、当地の年貢などを徴収することを命じている。寛文郷帳では田方九石余・畑方三七七石余、館林藩領。天和二年(一六八二)の分郷配当帳では高五三九石余、旗本北条領。近世後期の御改革組合村高帳では同高、旗本河野・小笠原領など四給、家数八一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by