二荒芳徳(読み)フタラ ヨシノリ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「二荒芳徳」の解説

二荒 芳徳
フタラ ヨシノリ


肩書
貴院議員(勅選),ボーイスカウト日本連盟総コミッショナー

旧名・旧姓
旧姓=伊達

別名
前名=九郎 筆名=二荒 空山

生年月日
明治19年10月26日

出生地
愛媛県

学歴
東京帝大法科大学政治学科〔大正2年〕卒

経歴
明治42年伯爵。大正3年内務省に入り、静岡県理事官、宮内省参事官、東宮御所御用掛などを経て、14年より勅選貴院議員。戦後厚生省顧問、飯野海運監査役などを務めた。一方、戦前に大正11年少年団日本連盟初代理事長となり、昭和16年大日本少年団連盟に統合され副団長、戦後24年ボーイスカウト日本連盟として再建、顧問、30年同総コミッショナーも務めた。著書に「非教者の教育論」「わが魂をかへりみて」などがある。

没年月日
昭和42年4月21日

家族
父=伊達 宗徳(旧宇和島藩主・侯爵) 妻=二荒 拡子(北白川宮能久親王の五女)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「二荒芳徳」の解説

二荒 芳徳
フタラ ヨシノリ

大正・昭和期の内務官僚,伯爵 ボーイスカウト日本連盟総コミッショナー;貴院議員(勅選)。



生年
明治19(1886)年10月26日

没年
昭和42(1967)年4月21日

出生地
愛媛県

旧姓(旧名)
伊達

別名
前名=九郎,筆名=二荒 空山

学歴〔年〕
東京帝大法科大学政治学科〔大正2年〕卒

経歴
明治42年伯爵。大正3年内務省に入り、静岡県理事官、宮内省参事官、東宮御所御用掛などを経て、14年より勅選貴院議員。戦後厚生省顧問、飯野海運監査役などを務めた。一方、戦前に大正11年少年団日本連盟初代理事長となり、昭和16年大日本少年団連盟に統合され副団長、戦後24年ボーイスカウト日本連盟として再建、顧問、30年同総コミッショナーも務めた。著書に「非教者の教育論」「わが魂をかへりみて」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二荒芳徳」の解説

二荒芳徳 ふたら-よしのり

1886-1967 大正-昭和時代の社会教育者。
明治19年10月26日生まれ。伊達宗徳(むねえ)の9男。宮内省書記官をへて大正11年少年団日本連盟初代理事長。昭和24年ボーイスカウト日本連盟として再建,30年総コミッショナーとなる。日本体操専門学校(現日本体育大)校長貴族院議員。昭和42年4月21日死去。80歳。愛媛県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「二荒芳徳」の解説

二荒 芳徳 (ふたら よしのり)

生年月日:1886年10月26日
大正時代;昭和時代の内務官僚;社会教育者。伯爵;ボーイスカウト日本連盟総コミッショナー
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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