二階堂行光(読み)にかいどう・ゆきみつ

朝日日本歴史人物事典 「二階堂行光」の解説

二階堂行光

没年承久1.9.8(1219.10.17)
生年:長寛2(1164)
鎌倉幕府吏僚。初代の政所執事となった行政の子として建久5(1194)年に政所寄人となり,源実朝の時代に政所が整備されるとその別当となって,実朝の命を受けながら裁判や行政に辣腕を振るい,政所の事の沙汰について「いみじき者」と称された。幕府の法令を奉行する例が多くなり,特に実朝が政所を一層充実した建保年間(1213~19)には政所執事となって信濃守に任じられるとともに,実朝の命を奉ずる御教書の多くは行光が奉じることになった。その一方で早い段階から北条政子に親しく仕えて行動しており,政子の使者として御家人間の調停役を果たしたり,政子主催の行事の奉行を務めている。承久1(1219)年1月に実朝が殺害されると,政子の命により後鳥羽上皇皇子将軍に請う使者として上洛したが,難航して鎌倉に帰る。その年に政所執事を病気で辞して死去。<参考文献>五味文彦『吾妻鏡方法

(五味文彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二階堂行光」の解説

二階堂行光 にかいどう-ゆきみつ

1164-1219 鎌倉時代武将
長寛2年生まれ。二階堂行政の子。二階堂行村の弟。建保(けんぽ)6年鎌倉幕府の政所(まんどころ)執事となる。翌年後鳥羽(ごとば)上皇の皇子を将軍に請う使いとして京都にゆく。源実朝(さねとも)と歌の贈答があった。承久(じょうきゅう)元年9月8日死去。56歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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