朝日日本歴史人物事典 「二階堂行光」の解説
二階堂行光
生年:長寛2(1164)
鎌倉幕府の吏僚。初代の政所の執事となった行政の子として建久5(1194)年に政所寄人となり,源実朝の時代に政所が整備されるとその別当となって,実朝の命を受けながら裁判や行政に辣腕を振るい,政所の事の沙汰について「いみじき者」と称された。幕府の法令を奉行する例が多くなり,特に実朝が政所を一層充実した建保年間(1213~19)には政所執事となって信濃守に任じられるとともに,実朝の命を奉ずる御教書の多くは行光が奉じることになった。その一方で早い段階から北条政子に親しく仕えて行動しており,政子の使者として御家人間の調停役を果たしたり,政子主催の行事の奉行を務めている。承久1(1219)年1月に実朝が殺害されると,政子の命により後鳥羽上皇の皇子を将軍に請う使者として上洛したが,難航して鎌倉に帰る。その年に政所執事を病気で辞して死去。<参考文献>五味文彦『吾妻鏡の方法』
(五味文彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報