日本大百科全書(ニッポニカ) 「二階堂行政」の意味・わかりやすい解説
二階堂行政
にかいどうゆきまさ
生没年不詳。鎌倉初期の吏僚。父は白尾三郎行遠(ゆきとお)。母は熱田(あつた)大宮司藤原季範(すえのり)の妹で、源頼朝(よりとも)の母の叔母にあたる。鎌倉の二階堂に住し、地名を苗字(みょうじ)とする。二階堂氏の初代。また白尾三郎、大山城、生毘沙門などとも号す。1180年(治承4)正月、主計寮(かずえのつかさ)の守公神宝殿修造の際の材木などを準備した功により、正六位上主計少允(しょうじょう)に任ぜられる。その後鎌倉に下り、84年(元暦1)8月公文所(くもんじょ)新造の奉行(ぶぎょう)を勤め、10月公文所寄人(よりゅうど)となる。89年(文治5)7月の奥州合戦、翌年11月の頼朝入洛(にゅうらく)では、頼朝の側近にあって右筆(ゆうひつ)として文書作成にあたった。91年(建久2)正月政所(まんどころ)開設の際に令(れい)に任ぜられ、翌年民部少丞(みんぶのしょうじょう)、93年叙爵、民部大夫(たいふ)と称し、同年政所別当に列す。99年(正治1)4月、13人の合議制が発足するとその1人に加えられた。1204年(元久1)4月山城守(やましろのかみ)に任ぜられたが、翌年正月任を去った。
[菊池紳一]