日本歴史地名大系 「五ヵ村堰」の解説 五ヵ村堰ごかそんぜき 秋田県:平鹿郡大森町五ヵ村堰十日町(とおかまち)村・袴形(はかまがた)村・板井田(いたいだ)村、中田新田(なかたしんでん)村・大曲西根(おおまがりにしね)村(現大曲市)の五ヵ村を灌漑する用水路。山城(やましろ)堰ともいう。元和五年(一六一九)佐竹将監義賢が横手盆地の雄物川西岸大森(おおもり)・板井田・小友(おとも)一帯の開発許可状たる差紙を得た(「八幡宮記録」大森郷土史)。以後数代にわたり雄物川から取水して開発に努めた(「剣花山記録」大森郷土史)。延宝三年(一六七五)にほぼ完成し、これによって板井田村から袴形村と松田(まつだ)村が、同じく大森村から十日町村が、内小友(うちおとも)村(現大曲市)から中田新田村が分村独立した。文政七年(一八二四)菅江真澄は「雪の出羽路」に次のごとく記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by