五十丁村(読み)ごじつちようむら

日本歴史地名大系 「五十丁村」の解説

五十丁村
ごじつちようむら

[現在地名]秋田市上新城五十丁かみしんじようごじつちよう

新城川上流の谷底平地、太平たいへい山地に続く丘陵の南麓に集落が並ぶ。新城川沿いには数段の段丘があり、五十丁では上下二段の段丘がある。北の丘陵が冬の季節風をさえぎるため、段丘上には松木台まつきだい上新城中学校遺跡や五十丁窯跡などがあり、古代人の格好の生活舞台であった。

文禄元年(一五九二)の秋田実季分限帳(秋田家文書)に五十丁村の名がみえる。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には五拾町村五三九石とあるが、享保一四年(一七二九)の秋田郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)には「正保五十町村寛文五拾丁村貞享五十挺村元禄宝永五拾町村享保五十丁村」と記され、各種の文字が使われていたが、享保以後「五十丁」が定着したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む