五十公野村(読み)いじみのむら

日本歴史地名大系 「五十公野村」の解説

五十公野村
いじみのむら

[現在地名]新発田市ゆたか町一―四丁目・諏訪すわ町一丁目・同三丁目・ほん町一丁目・東新とうしん町一丁目・同四丁目・五十公野

新発田城下の東南方に位置する大村で、在郷町であった。東部には五十公野丘陵があり、丘陵麓を通る山通り(荒川往来)に、城下を出て東進してきた会津街道が村中央部で連接し、南部で分岐する。中世加地かじ庄に含まれ、正応五年(一二九二)沙弥道願が「女子みたいち」に「かちのしやういしみのゝてう(五十公野条)」を譲渡している(同年一〇月二二日「藤原遠泰・沙弥道願連署譲状案」桜井市作氏蔵)。戦国時代、丘陵南部の御城山おしろやまには新発田氏の一族五十公野道如斎の拠城があり、遺構が残る。小規模な要害で、居館は現五十公野小学校の辺りにあったといわれ、櫓下やぐらした外城とじようの字名が残る。城跡東南の尾根平地面には、天正一五年(一五八七)上杉勢が五十公野城を包囲攻撃した際、景勝の陣所であったとみられる土壇も残る。景勝宛の同年一一月二二日付豊臣秀吉直書(上杉家文書)は、「(一〇月)廿四日、五十公野之地責崩、始道(ママ)斎千余打捕」、続いて新発田重家をも討果したことを「誠以満足」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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