五十軒村(読み)ごじつけんむら

日本歴史地名大系 「五十軒村」の解説

五十軒村
ごじつけんむら

[現在地名]猪苗代町三ッ和みつわ

三城潟さんじようがた村・新在家しんざいけ村の北、磐梯山南麓先端の扇状地に位置する。集落北西部一帯の荒蕪地は磨上すりあげ原とよばれ、同原を二本松街道が横断する。五十軒新田村ともいい、五十間とも記した(新編会津風土記)。寛永一五年(一六三八)会津藩主加藤明成が猪苗代城防御のため仙道から物頭田辺仁右衛門ほか五三名の足軽を招き、それまで新在家村分であった当地を開墾し給田としたことが当村の始まりという(同書)。同二〇年加藤氏は改易となり、足軽の多くは郷里に帰ったが、高瀬・古山・中村・小檜山・河井五十嵐・宇南山の各氏など合せて九人は当地に残った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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