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五島盛利 ごとう もりとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

五島盛利 ごとう-もりとし

1591-1642 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)19年生まれ。宇久(うく)盛長の長男。五島玄雅(はるまさ)の養子となり,慶長17年(1612)肥前福江藩(長崎県)藩主五島家3代。元和(げんな)5年に義弟の大浜主水(もんど)らがおこしたお家騒動をのりきり,藩政を確立した。寛永19年7月19日死去。52歳。通称は孫次郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典内の五島盛利の言及

【五島氏】より

…江戸幕府成立後,1617年(元和3)1万5530石の所領を給付されたが,その領域は五島列島内に限られていたので,藩財政は苦しかった。19年藩政確立期に五島藩乗取り事件である大浜主水事件が起きたが,五島盛利は幕府の支持をえて,主水一味を処刑し,家臣団を福江城下に集める“福江直り”を実施して,福江藩の基礎を確立した。そののち61年(寛文1)に盛利の三男盛清に富江領3000石を分知したため,以後石高は1万2530石に減じた。…

【福江藩】より

…肥前国(長崎県)南松浦郡福江に藩庁を置いた外様小藩。藩主は五島氏。1万2530石。五島藩ともいう。松浦党(まつらとう)の成員であった五島列島北端の宇久氏は,南端の福江島進出を契機として海上貿易権を掌中に収め,有力な在地領主を同族化することによって五島列島の統一に成功し,1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は1万5530石。1655年(明暦1)5代藩主盛勝のとき,叔父盛清に3000石(富江領)を分知してから1万2530石となる。…

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出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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