五料茶屋本陣(読み)ごりようちややほんじん

日本歴史地名大系 「五料茶屋本陣」の解説

五料茶屋本陣
ごりようちややほんじん

[現在地名]松井田町五料

旧中山道の北側、国鉄信越本線北沿いの桃渓とうけい書院跡西隣に南向きに二軒並んで建つ。西をお西、東をお東とよぶ。ともに中島姓で、江戸時代五料村の名主を一年交替で勤めた。両家とも文化三年(一八〇六)大火によって焼失し、翌年に再建された。家の作りはだいたい似ている。県指定史跡。お西は間口一三間で奥行七間、総二階建切妻造。間取りは東側に土間、中央に家族の座敷、西側に入側を隔てて上座が設けられており、そのための玄関が西側にある。玄関は間口三間と奥行四尺、拭板敷・竿縁天井、座敷は一〇畳、二間半の通し床の間付竿縁天井。中の間は六畳、一間半の通し床の間。上段の間は他の部屋より一段高い床棚付書院、二重廻縁・猿頬天井で、これらの部屋の階上の床は家族居間の二階床より一尺五寸高くなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報