五方五部(読み)ごほうごぶ

改訂新版 世界大百科事典 「五方五部」の意味・わかりやすい解説

五方・五部 (ごほうごぶ)

朝鮮,百済が538-660年の間実施した地方および王都の軍政区画。百済は王都を泗沘(しひ)(忠清南道扶余)に移すと,三国対立の激化に備えて,王都と地方の政治体制を軍政化した。王都を上・前・中・下・後の五部あるいは中・東・西・南・北の五部に分け,各部をさらに五巷(坊)に区分し,各部を軍政の単位とし,各部に500人の軍隊をおいた。また地方を五方に分け,中方は古沙城(全羅北道古阜),東方は得安城(忠清南道恩津付近),南方は久知下城(全羅南道長城か),西方は刀先城(未詳),北方は熊津城(忠清南道公州)を中心とした地方である。五方の長官を方領といい,第2等官位の達率の者があたり,副官を方佐といった。各方領は700~1200人の軍隊を統率し,6~10郡を支配した。郡には第4等官位徳率の郡将が3人いた。方も郡も軍政的色彩が強く,山城をもっていた。五方・五部の制度は高句麗の五族・五部の影響をうけたもので,その五の数字は陰陽五行説などによるとする説もある。
百済
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