愛知県中南部、岡崎平野の中央、碧海(へきかい)台地上の都市。1952年(昭和27)市制施行。1967年碧海郡桜井町を合併。JR東海道本線、名古屋鉄道の本線と西尾線が通じ、さらに、1988年東海道新幹線の三河安城駅も開業した。また国道1号・23号も走る。1891年(明治24)東海道本線安城駅設置から、駅前集落として発展した。また、1880年の明治用水開通によってできた町でもあり、日本のデンマークと称される先進農村地帯となった。第二次世界大戦後は農業の町から工業の町へと変じ、いまは農業と工業の共存する都市である。日本デンマーク農業の指導者は山崎延吉(のぶよし)で、県立農林学校の校長と県立農事試験場長を兼務し農村指導をした。彼の農業経営方式は多角形(米麦、養蚕、養鶏、果樹、野菜)農業で、米作りに商品作物を組み合わせる先進的農業で、とくに篤農(とくのう)精神を鼓吹し、農業組合(現在の農協)活動を中軸としたものである。安城の工業化は、養蚕から生糸、さらに紡績へと推移したが、第二次世界大戦後は自動車関連の機械工業が盛んである。一方、文化財としては、三河万歳(みかわまんざい)の発祥地でもあり、別所(べっしょ)の万歳は、西尾の森下(もりした)万歳とともに国の重要無形民俗文化財に指定されている。そのほか、三河一向一揆(いっこういっき)の拠点となった本証(ほんしょう)寺、二子(ふたご)古墳(国指定史跡)、和泉(いずみ)の丈山(じょうざん)文庫がある。面積86.05平方キロメートル、人口18万7990(2020)。
[伊藤郷平]
『『安城市史』全2巻(1971、1973・安城市)』
愛知県中部の市。1952年市制。人口17万8691(2010)。矢作(やはぎ)川北西岸の洪積台地(碧海(へきかい)台地)の中央に位置する。安城ヶ原と呼ばれた不毛の台地であったが,1880年明治用水開削によって水田化が進み,次いで91年台地の中央に東海道本線安城駅が設置された(なお同駅の西方には東海道新幹線三河安城駅がある)。やがて知立(ちりゆう)町から郡役所や郡警察署が移転してきて碧海郡の中心に成長した。碧海農業は米麦二毛作に養鶏,畜産を配する多角的農業経営と産業組合による共同販売によって発展し,安城一帯は大正末ごろから〈日本のデンマーク〉として知られるようになり,同時に農林学校,農事試験場など農業指導機関が置かれ農都としての性格を強めた。工業では第2次世界大戦前からの製糸,紡績などの繊維工業にかわって,戦後名古屋,東京から進出した自動車などの輸送機械や金属工業が優位にたった。近年これら工業化の影響で農家の兼業化が急速に進みつつある。名古屋鉄道西尾線が通じる。
執筆者:井関 弘太郎
韓国,京畿道南端の郡。人口12万4897(1995)。安城川が形成した安城平野をかかえ,稲作中心の農業地帯となっている。郡北東部は車嶺山脈縁辺の丘陵地で,タングステン,金など希少金属を産する。中心地の安城邑は鉄道が天安市へ通じ,また道路が四方へ発達している交通上の要衝として商業が盛んで,人口3万を超える市街地が形成されている。かつては食器を中心としたシンチュウの鍮器を製作する家内工業が盛んで,安城鍮器として知られた。
執筆者:谷浦 孝雄
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