五条谷村(読み)ごじようやむら

日本歴史地名大系 「五条谷村」の解説

五条谷村
ごじようやむら

[現在地名]沼南町五条谷

大井おおい村の東に位置し、北東箕輪みのわ村。寛永二年(一六二五)の旗本本多正貫の領知目録写に「五条谷新田村拾四石七斗余」とあり、以後の領主変遷高柳たかやなぎ村に同じ。鎮守稲荷神社の天明三年(一七八三)の棟札(小林家文書)に写された元和元年(一六一五)奉納の棟札には本願主として村内三名の名前がみえ、村の草創は元和元年であったとされる。元禄六年(一六九三)には家数一〇・人数五三(「五人組帳」小林家文書)。正徳三年(一七一三)の郷差出帳(同文書)によれば元和六年本多氏の検地を受け、本高一四石余が打出され、反別は六町五反余、うち六町一反余は田で畑はほとんどない。ただし寛文二年(一六六二)に開かれた新高一〇石余は畑地が多かった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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