日本大百科全書(ニッポニカ) 「井上充夫」の意味・わかりやすい解説
井上充夫
いのうえみつお
(1918―2002)
建築史家。京都府加佐郡余部(あまるべ)町(現舞鶴市)に生まれる。舞鶴中学校、名古屋高等工業学校建築科を経て、1942年(昭和17)、東京工業大学建築学科を卒業。同年、日本発送電株式会社総務部建築課に就職。45年(昭和20)、同社を退社してハルビン工業大学建築科講師として赴任。49年、横浜国立大学工学部建築学科講師となり、翌年同助教授、66年、同教授となり、84年に同校を停年退官。
大学卒業後43年と44年に、ドイツ・オーストリアの美術史学「様式論」の方法論に独自の数学的概念を加味して日本の建築空間の史的展開を論じた斬新な二つの論文を発表し注目された。この二つの論文は、62年、学位論文「日本上代建築における空間の研究」に発展し、同論文は同年の日本建築学会賞を受賞。さらにこの研究は後の論考を加えて69年の『日本建築の空間』となって結実した。この主著はアメリカのウェザーヒル社から英訳出版(英題Space in Japanese Architecture, 1985)もされ、内外で盛んな引用の対象となっている。また西洋の建築理論史あるいは建築美学史の研究でも知られ、『建築美の世界』(1981)、『建築美論の歩み』(1991)等の著書で、単純な機能主義理論の批判に基づく建築美の自律性の理論を展開した。
井上の主たる業績は、20世紀西洋の建築理論のキーワードである「空間」に着目し、様式論の概念である絵画的性質と彫刻的性質、数学的概念を用いた平行座標式空間把握と極座標式空間把握、解析幾何学的空間と位相幾何学的空間、さらには幾何学的空間と行動的空間といったいくつかの対概念を駆使して、日本の建築空間の歴史的展開に関する独自の理論を構築したことにある。その建築史論は、文化財としての価値づけと保存・修復のための実証的な研究が主流であった同時代の日本の建築史学に一石を投じるとともに、今日の日本建築史学の形成に少なからぬ影響を及ぼしている。
[吉田鋼市]
『『建築史』(1953・理工図書)』▽『『建築芸術』(1958・理工図書)』▽『『日本建築の空間』(1969・鹿島出版会)』▽『『建築美の世界』(1981・鹿島出版会)』▽『『建築美論の歩み』(1991・鹿島出版会)』▽『建築史学会編、戦後建築史学研究小委員会・井上充夫著「戦後建築史家の軌跡1 井上充夫」(『建築史学』第34号所収・2000・建築史学会)』