20世紀日本人名事典 「井上房一郎」の解説
井上 房一郎
イノウエ フサイチロウ
- 生年
- 明治31(1898)年5月13日
- 没年
- 平成5(1993)年7月27日
- 出生地
- 群馬県高崎市
- 学歴〔年〕
- 早稲田大学中退
- 経歴
- 大正11年〜昭和5年パリ留学し、芸術社会学を修める。昭和13年家業の建設業・井上工業の社長に就任。ほかに井上産業、高陽ストレート建材社長なども兼任。一方、美術・工芸・音楽の趣味深く、9年建築家ブルーノ・タウトを高崎市に招いて群馬県工芸所を設立。戦後は20年群馬交響楽団を設立、18年間理事長として、有数の市民オーケストラに育てあげたほか、群馬音楽センター、群馬県立近代美術館など次々と実現させた。さらに、44年以来高崎市民のために開いてきた連続講演会が哲学堂建設の構想に発展、55年財団法人となり、“現代の寺子屋”実現に向けて尽力した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報