中国学(読み)ちゅうごくがく

改訂新版 世界大百科事典 「中国学」の意味・わかりやすい解説

中国学 (ちゅうごくがく)

中国文化に関する学問研究を一括して中国学といい,研究の方法が主として文献学的であるのが特色である。つまり中国の歴史,宗教,哲学,学術,言語,文学,美術,民族などの研究や,政治,経済,法制,社会などの歴史的研究が中国学であって,中国の地質,気象,動物,植物,鉱物などの研究や,政治,経済,法制,社会などの現状の記述や調査は中国学の範囲に入らない。中国学という呼称は,従来は支那学とよばれてきて,今もその名称が使われることもあり,元来は西洋とくにフランスで18世紀に起こったシノロジーsinologieの訳語であった。この学風の実質は,中国本土においても存在し,これを国学あるいは漢学と称したが,20世紀に入って日本の京都で栄えた中国に関する学派が,狩野直喜(かのなおき),内藤湖南を中心に哲学,文学,史学の研究者,学生を網羅した支那学会という学会をつくり,その分派として雑誌《支那学》を編集発行する同人の集りを支那学社と称したのは,西洋のシノロジーを意識してのことであった。第2次世界大戦後,京都の支那学会が休眠状態に陥る一方,全国的規模で新たに組織され,年刊の《日本中国学会報》を発行している日本中国学会は,主として中国哲学,中国文学の研究者によってのみ構成されており,中国史学の研究者はこの学会に加わらず,東洋史の主要メンバーとして日本史や西洋史の研究者とともにいくつかの歴史学会としてのまとまりを呈し活動している。中国の歴史や文化が,近代的な意味において学問的に研究されるようになったのはヨーロッパ人によってであるから,中国学の沿革を概観しようとすると,いきおい西洋における中国研究の発展を跡づけることになる。

 中国文明をヨーロッパに初めて紹介した国民は,フランスではなくて,地理学上の発見や探検の先駆者を出したポルトガル,スペイン,イタリアといった南ヨーロッパの諸国であった。16世紀の初め,まずポルトガル人が中国に到り,まもなくスペイン人がこれに続き,カトリックの布教活動を始めた。宣教師たちは,本務遂行の必要からも,中国の事物の調査や情報の収集につとめ,その結果を教団の本部に報告した。これらの情報にしたがって,ヨーロッパに現れた中国に関する最初の書物は,1585年にローマにおいてスペイン語で出版されたアウグスティヌス会の宣教師メンドサJuan Gonzalez Mendoça(1549-1617?)の《シナ大王国記》であり,ただちにヨーロッパの各国語に翻訳された。とくに著名なのは88年にパリで出版されたフランス訳であり,当時フランス最大の文人で哲学者でもあったモンテーニュの《随想録》にも引用されている。17世紀の初頭以来,中国に関する研究をすすめたのは,イエズス会所属の会士たちであり,とくに顕著な成績を挙げたのはフランスの会士たちであった。たとえばトリゴーN.Trigault(1577-1628)は《西儒耳目資》という中国語発音辞典をつくり,1626年に杭州で出版した。本書は中国語で書かれたものであるが,漢字はアルファベットで転写されていて,中国の学者を驚倒させ,中国に音韻学をおこすのに貢献したのであった。また《イエズス会士書簡集》の第9~26巻の編集者であったデュ・アルドJean Baptiste du Halde(1674-1743)が1735年に刊行した《中国全誌》4巨冊は,当時までに得られた西洋人の中国に関する知見を集大成したものであって,挿入された精巧な銅版刷りの地図類は,当時ヨーロッパ随一の地図学者として知られたダンビルJean Baptiste Bourguignon d'Anville(1697-1782)が監督している。翌年にはオランダで縮刷版が出,続いてイギリスで英語版が出された。また本書で翻訳された唯一の文学作品たる元曲《趙氏孤児》は,まもなく中国びいきのボルテールによって翻案され,55年に《中国の孤児》と題してパリで上演されたのであった。

 19世紀に入ると,フランスを最初として,ヨーロッパの主要大学に中国学の講座が設けられ,中国研究を専門とする学者が輩出するにいたった。コレージュ・ド・フランスに中国学の講座が創設されたのは1814年12月,初代の教授には弱冠27歳のA.レミュザが任命され,やがてS.ジュリアンに引き継がれた。イギリスでは,76年に設けられたオックスフォード大学の中国学講座の初代教授にJ.レッグが,88年に設けられたケンブリッジ大学の中国学講座の初代教授にはT.ウェードが就任した。オランダのライデン大学の中国学の初代教授となったシュレーゲルG.Schlegelは,90年にフランスのH.コルディエと共同で東洋学の研究雑誌《T`oung Pao通報》を創刊した。今もライデンのブリル書店から刊行されている《通報》はヨーロッパにおける中国学を代表する雑誌である。ドイツでもF.ヒルトやO.フランケといった学者を出したが,アメリカが中国学の仲間入りをするのは20世紀に入ってからであり,多額の研究費の投入とあいまって,活況を呈している。
東洋学 →東洋史学
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中国学」の意味・わかりやすい解説

中国学
ちゅうごくがく
Sinologie

中国の文物一般を研究する学問の総称。 13世紀,モンゴル帝国の出現によって,ヨーロッパ人の関心が中国に向いた時点に始る。以後キリスト教宣教師をはじめとし,次第に一般の学者たちも参加し,19世紀後半にはアメリカも加わり幅広い分野にわたる研究がなされている。中国や日本の中国研究の古い伝統からまったく自由な立場で行われる点に新しさがある。

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世界大百科事典(旧版)内の中国学の言及

【東洋学】より

…なお,日本で19世紀末,日清戦争後に成立した東洋史という学問は,西洋史とあわせて世界史を構成し,日本史と対比されてきた。つまり東洋史のなかに日本史は含まれないが,ヨーロッパにおけるオリエント学のなかには,近東を対象とした狭義のオリエント学,インド学中国学などと並んで日本学(日本研究)も含まれている。 ヨーロッパにおけるオリエント学は,中世末期から近代初期にかけての神学の中から芽ばえた。…

※「中国学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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