朝日日本歴史人物事典 「井上正岑」の解説
井上正岑
生年:承応2(1653)
江戸中期の大名。正任と本多忠義の娘の子。元禄6(1693)年9月遺領を襲い,美濃国(岐阜県)郡上藩4万7000石の藩主となる。8年12月奏者番,以後寺社奉行兼帯(1696年10月),若年寄(1699年10月)を経て宝永2(1705)年9月から享保7(1722)年5月まで,7代将軍徳川家宣,8代将軍徳川吉宗の2代にわたり老中を務めた。この間,元禄10年には丹波国亀山(京都府),15年には常陸国(茨城県)下館5万石,同年笠間に転封。享保3年加増にて6万石を領する。元禄10年から始まった元禄の国絵図調製事業では,総裁として指揮をとった。
(泉正人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報